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ガイドブック企画制作ワークショップ 事後会議

6月14日、運営チームで集まり、集まった事例を眺めてヘルスケアアートについて考えました。議題の一つは、まもなくオープンを予定している「あなたの思うヘルスケアアートとは何ですか」という投稿企画において「何を承認して掲載するべきか」という点でした。
事例ごとにヘルスケアアートと言えるか試しに議論してみたところ、大きく2つの議論がありました。



1.ヘルスケアアートとは何なのか? 施設による区分

(事例)保育園、幼稚園、学校、公民館、美術館などにおけるアート的なもの

意外と多く挙がったのが、医療福祉施設以外における事例でした。
・美術館は、アートそのものを鑑賞するところだからちょっと違う。
・公民館も不特定多数の方が利用する施設とはいえ、中で行われている取り組みがヘルスケアアートと言えるだろうか?
・保育園と幼稚園には目的の違いがあって、一見して保育園は「保育を必要とする子どもが通う施設」という点で「ケア」に近いかもしれない。しかし病児保育は別として子どもの保育と健康のためのケアは違うだろう。
などの議論をしました。

投稿企画では、これらの施設の事例が投稿されたときには省かせてもらい、何らか心身に不調を抱えた状態の方が利用する医療福祉施設などの事例を扱うことにしました。ただし事例が「ヘルスケアアート的」であることはその通りで、もしかしたらそれが「あるべき理想のヘルスケアアートになる」かもしれません。その点で今後のヘルスケアアートの普及発展にはとても可能性を秘めた事例かもしれません。

2.ヘルスケアアートとは何なのか? 境界にある事例

これから下記に挙げるヘルスケアアートの効果があると思われる事例は、投稿されたらすべて掲載することにしました。今後ヘルスケアアートを厳密に定義づけていった際には、こぼれてしまうものがあるかもしれません。そのような境界にある事例は、しかし議論しているととても面白いものでした。

(事例1)きんさん・ぎんさんの手形

ある名古屋市内の病院に、きんさん・ぎんさんの手形が飾られているそうです。きんさん・ぎんさんとは、100歳を超えても元気だった双子姉妹のおばあちゃんで愛知県では知らない人はいないというくらい有名だった方々です。お二人の手形が飾られているということは「長寿にあやかる」メッセージがあることが想像できますし、見た人をほっこりと和ませ心を癒してくれそうです。高齢者にとって大事なキーワードになる懐かしさやユーモアもあります。だからヘルスケアアートっぽい気がします。
しかしこれはアートでしょうか? 手形そのものはアートではない。展示フレームなどはちゃんと人の目を意識して作られたものでした。「きんさん・ぎんさんの手形を飾る」という行為は現代アートっぽくもあります。もしこれがアートではないとき、それではただ寄付者によって病院の目的も意図も気にかけずに寄贈された絵画はアートでしょうか? それを飾ることで「当院はアートを導入しています」と言えるものでしょうか。もしかしたら寄付された絵画よりもきんさん・ぎんさんの手形の方がアート的かもしれません。

(事例2)地元の歴史由来の彫刻

またある病院の中庭には、人の背くらいある彫刻が置いてあります。その病院は伊勢湾台風の時に被害が大きかった場所にあり、彫刻は地域の方々と一緒に、病院の発展を願って作り上げられた像だそうです。そうした地元や歴史に由来した彫刻であることを聞くと、それは小学校や公民館などにある記念の像などとどこが違うのでしょうか。病院にある彫刻(美術品)は何でもヘルスケアアートと言えるのでしょうか。彫刻を作った作家は患者のことを思って制作したのでしょうか。
一方で彫刻は美術品であるから、見る人を芸術の世界に連れ出してくれる可能性があります。彫刻を見ることで癒される患者さんやスタッフがいるかもしれません。毎日そこにあることで特別な空間に思えてくるかもしれません。そして彫刻という立体物が無機的な病院内にあることでウェイ・ファインディング(*)の効果が期待できます。患者さんの病院内の環境を整え、親しみを感じられることは、ヘルスケアアートの一種と言えそうです。

*道に迷わず目的地にたどり着ける誘導方法のこと。直接的には誘導サインの整備が挙げられるが、空間の形や色、目印となるアートや照明などによって順路を示し目的地に誘導する環境づくりの方法もある。

(事例3)お正月を祝うカード

きんさん・ぎんさんの手形の事例を見たときに、事務局の寺井は自分の入院体験を思い出しました。年越しを病院で過ごしたあとの元日、いつもの入院食は赤飯や茶わん蒸し、紅白なます、ブリの照り焼きでお正月っぽくなっていて、さらに画像のようなカードが添えられていました。入院食は業務的に対応すれば済みそうですが、カードは普段はないのでわざわざ置いてくれているわけです。私は「正月を病院で過ごすのか、おいしいもの食べたかったなあ」などと思っていましたから、元日らしさを感じられるひと手間があることにとてもいいなと思ったものです。しかしこれはアートではなさそうです。
それでは、2月に名古屋市厚生院さんで取り組んだヘルスケアアートWSの際、入所者さんにお渡しした「ひな祭りカード」はどうだったのでしょうか。イベントの招待状の役割と、会場に来られない方には季節のメッセージカードの役割を担っていました。また保育園児さんが折り紙を折って顔を書き入れてくれたものもありました。デザインはデザイナーさんが制作してくださり、きちんと印刷会社さんで刷ってもらいました。こうした手間や、デザイナーが関わっていれば、ヘルスケアアートなのでしょうか。受け取った人が感じる効果としては、大小はあれど、私が退院するときに持って帰ろうと思ったお正月のカードと同じではなかったでしょうか。



(事例4)懐かしさを感じるポスト

倉敷中央病院には、昔を懐かしく思い起こさせるような丸い形の赤いポストが院内にあるそうです。事例を教えてくれた方は、「懐かしさとともに数十年若返った気持ちになった」「昔こんなだったねと話のきっかけになる」「病院の中になくてもいいけれどあるとなんだかほっとする空間になる」という感想を教えてくれました。事例を見ていた運営チームはみな「これはアートだね!」と初見で賛同したのですが、しかしちょっと待ってください。ポストはアートでしょうか?
病院の中に普通はないような異質なものをポンと入れるのはコミュニケーションを誘発して、患者さんに人間性を取り戻すきっかけを与えるかもしれません。医療者にできることでもない。だからヘルスケアアートと思われたのですが、どうでしょうか。倉敷という歴史ある町の中の病院だから、そういったポストがあるのかもしれません。

(事例5)患者さんをさりげなく誘導する矢印

これも倉敷中央病院の事例でしたが、廊下のデザインにさりげなく矢印が組み込まれていました。患者さんに順路を教える分かりやすさはデザインでありアートでありそうですが、されど「矢印」。サインも同様かもしれません。矢印やサインはヘルスケアアートの一部でしょうか?

(事例6)病院内のビオトープ

倉敷中央病院には院内に温室があり、本物の緑を見ることができます。関連する事例として、また私の経験となりますが、ある病院の屋上庭園はとてもよく整備されていて、ビオトープがあるのです。ヘルスケアアートか否かは判断できませんが、これはとてもよいことだと感じました。ただの殺伐とした緑ではなく、季節ごとに花が咲き、水の流れがあって小魚やタニシがいて、水田を思い起こさせるような植物があり、背丈以上の樹木と陰にベンチが並び、隣接するリハビリセンターから作業療法のための通路も設けられています。入院患者にとっての癒し、くつろぎ、リフレッシュにとてもよい効果があると思いました。これだけの環境を維持するのにお金もかかっていると思います。しかしやはりアートかと問われると?




事後会議のまとめと展望

いろいろなヘルスケアアートっぽい境界にある事例を挙げました。「制作者の意図と受け手の意図」「病院の関与の有無」「人間性を取り戻す」「コミュニケーションデザイン」いろいろな観点が浮かんできましたが、まだまだヘルスケアアートの定義や評価には至っていません。

投稿企画では、あくまで「あなたの思う」事例を集めます。承認して掲載しますが、すべてがヘルスケアアートとは言えないだろうことを確認しています。上記のような多様な事例が「ヘルスケアアートか否か」を評価するには、まだ話し合いが足りないためです。

今後ガイドブックをまとめる編集過程では、そうはいきません。質量問わず幅広く集まった大小のヘルスケアアート事例を評価し、取捨選択し、どう分類し、どうまとめるか考えなければなりません。当プロジェクトとしてヘルスケアアートを定義し厳選せねばならず、難しい作業になりそうです。
こうした話し合いの続きを夏の講座を受けつつ、秋にまた再開したいと考えています。ガイドブック企画制作WSの続きとなる第3回検討会は、第1・2回に参加いただいた10名の受講生を対象に、9月25日に行うことになりました。(寺井)


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