ヘルスケアとアート
医療福祉施設の環境とケア
心身の不調や不安を抱えた人たちが、より快適に過ごせるように。
医療技術や生命科学の進歩にともない、病気治療の可能性が広がり人類の寿命は確実に延長しました。一方で治療を支える病院は、機能性と効率性を高め、徹底した清潔管理が求められるようになりました。病院内部は人工的な材料に覆われ、自然の色彩や素材感に乏しい空間となりがちです。温湿度はエアコンで一定に保たれ、人工照明に頼る閉鎖的な人工環境です。現代の医療空間と医療機器は高度に専門機能化し、人間としての日常感覚から遠ざかりつつあります。
健康な人間でさえ「病」に対しては漠たる不安を感じます。ましてや病気という理不尽なハンディを抱えた患者にとって、自らの病を客観的に認識し、治療に前向きに取り組むことは容易でありません。患者とその家族は「治療のためには我慢すべき」という心理状態におかれがちで、緊張感や不安感を抱えながら療養生活を送らなければなりません。病の治癒と引き換えに、療養の長期化あるいは精神的苦痛を受忍せざるを得ないのです。
病院だけでなく、老人福祉、障害者福祉などのヘルスケア施設で過ごす弱者の皆さんが感じるストレスを軽減し、安心感に包まれながら前向きな気持ちで過ごせるよう、より快適な環境作りへの配慮が求められます。
ヘルスケアにおけるアートの「ちから」
患者さんだけでなく、その家族や医療関係者にも効果的。
入院経験のある方なら誰でも、病室の窓から見える風景がどれほど気持ちを癒してくれるかを知っています。病室を離れ、観葉植物のあるデイコーナーでくつろぐのもいい気晴らしになります。
先進諸国の子ども病院では、明るい色彩、遊び心をくすぐるカタチ、親近感のある素材を積極的に採用しています。壁面全体を覆う水槽、天井に広がる光ファイバーの星空、アトリウムの巨大遊具など、病院とは思えない新しいデザインに挑戦しています。また、終末期を迎えたお年寄りのためのホスピスでは、木質系の落ち着いたインテリアと心温まるさりげないアート作品が療養生活を支えています。
日本では具体的な効果についての認識が十分浸透しておらず、支援体制も不十分なため積極的に採用する事例は限られています。一方、アートをヘルスケアの現場にいち早く採り入れたイギリスでは、投薬量の削減や入院期間の短縮につながるという医学的データが示されるなど、ヘルスケアにおけるアートへの理解が浸透しています。アートの導入により、コミュニケーションを誘発したり、病院内の雰囲気を和らげるなどの仕掛けとして、患者だけでなく、付き添いの家族や医療スタッフに対する効果についても期待されます。何よりも、アートだからこそ付与することのできる意味的価値が、ヘルスケア施設の理念を顕在化し、関係者のコミュニケーションを誘発するなど医療スタッフの職能に対するモチベーションを引き出し、ひいては利用者の皆さんへのホスピタリティにつながります。
地域とつながるヘルスケア施設
互いに支え合う関係を、アートによって支える
ヘルスケアに関わる医療福祉施設は地域住民が安心して生活するためになくてはならない地域の拠点です。家庭と地域と施設とが連続的な関係を築くために、相互が支え合う仕組みが求められます。施設は利用者のみでなく、地域に対して情報を開示して大きく門戸を開くことで、外部の知恵と力を受け入れることができます。
ヘルスケア施設と地域の関係づくりに、アートやデザインを取り入れることが有効な手段のひとつとなります。それは単に空間の印象や雰囲気を変えるということだけではなく、医療福祉関係者や患者さん、そのご家族との間に新たなコミュニケーションを生みながら、患者や医者を好みや個性のある一人の人間に戻す仕掛けにもなりうるのです。
病院を示す英語のホスピタル(hospital)は、そもそも客人を温かく迎え入れる「もてなし」を意味するホスピタリティ(hospitality)と語源を同じくするものです。医療福祉施設がそのようなもてなしの場であるために、アートやデザインの果たす役割があると信じています。