【学習会】HYGGEから考えるヘルスケアアート 第2回(8/22)報告
学習会 第2回 2022年8月22日(月)19~21時 オンライン開催
『HYGGEヒュッゲ』CHAPTER 2/ ヒュッゲについて話しましょう
・森口先生による書籍の該当箇所の朗読や投げかけ
・グループディスカッション1:自己紹介と対話(30分)
・グループディスカッションの内容を全体に発表
・ディスカッションの振り返り
・グループディスカッション2:対話(20分)
・全体の振り返り
・次回の案内、事務局より課題(ワークシート)の共有
今回からいよいよHYGGEについてグループに分かれて対話をしました。
森口先生による書籍の該当箇所の朗読や投げかけ
「CHAPTER 2/ ヒュッゲについて話しましょう」
参加者の皆さんには、前回および事前メールで次回までに書籍『HYGGE 365日「シンプルな幸せ」のつくり方』の「CHAPTER 2/ ヒュッゲについて話しましょう(p.22~43) 」を読んできてくださいとご案内をしておきました。
グループに分かれて対話をする前に、森口先生から該当箇所に関して、一部朗読をいただきつつ、参加者の皆さんに対話のテーマの投げかけをしていただきました。
森口先生「この学習会では、ご参加されている様々なご専門を持つ皆さまと、HYGGE(ヒュッゲ)をキーワードに対話をしていきたいと思います。
今日から読み進めて行くわけですが、書籍32pに次のような文章があります。」
言語は、そこで暮らす人の世界を反映しています。自分が見ているものや、自分にとって大事なものにつけられるのが「名前」です。
(中略。イヌイット族を研究していた人類学者を紹介し、その研究を深めた「サピア・ウォーフの仮設」では、)『ある文化が持つ言語は、その言語を使う人の暮らしぶりを映し出すと共に、その人の行動を左右する力も持っている」とされています。
森口先生「これは重要なところだと思います。つまり、ヒュッゲという言葉をよく使うデンマークの人や暮らしぶりにとって、ヒュッゲという概念がいかに大切かが表れていると。
ヒュッゲを直訳する日本語はないですが、おもしろいことに大学でHYGGEを英文で読む授業をしたところ、しばらくしてから学生の間でヒュッゲという言葉が流行って、例えば『このパンはなかなかヒュッゲだね』『あの時間はヒュッゲだった』と使っているようです。そのようにヒュッゲを意識して過ごすのもひとつの方法かなと思います」
その後、「ヒュッゲ」はどこから来たのか?(40p)にあるヒュッゲの起源となった言葉やその意味を紹介いただきました。
・ヒュッゲの起源となったノルウェー語は「満ち足りること、満足できる暮らし」といった意味。
・hug(フーグ)という言葉から派生したとも言われ、フーグは「抱きしめる」という意味のHugge(フーガ)から生まれた。
・フーガは古ノルド語で「なぐさめる」という意味のhygga(ヒュッガ)から派生したかもしれない。
・ヒュッガは「気分」を意味するhugr(フーガー)に由来し、フーガーはゲルマン語のhugjan(ヒュージャン)に由来し、「考える、熟考する」という意味の古い英語hycganヒュージャンと関連がある。
→どれも今のヒュッゲに含まれる要素
そして「シンプルな幸せ」をつくる「ヒュッゲのルール10カ条」(42p)をざっと確認した上で、グループディスカッションに入りました。
グループディスカッション1:自己紹介と対話
一般参加者を5-6人の7グループにランダムに分け、グループ内で簡単な自己紹介をした上で、下記の例のような内容で30分の対話をしました。森口先生や鈴木先生も参加されました。
対話の例
①“HYGGE”を日本語に置き換えると?
②あなたにとって“HYGGE”な環境とは?(具体的に「誰と」「いつ」「どこで」「何をしている時」ですか?)
③“HYGGE”を日々の生活で味わう為には、どうすれば良いのでしょうか?
グループディスカッションの内容を全体に発表
各グループで対話した内容を順番にグループの代表者が発表しました。
1グループ
● ヒュッゲの語源として出てきた「熟考」が、もともとのヒュッゲのイメージと違っていたので、グループ内で投げかけをしたところ、難しいことを考えるという意味ではなく、自分の中での対話をすることや深く内面と向き合い解きほぐしていくこと、という話題が出た。
● 現在、この学習会もそうだが「オンライン」が増えており、オンラインとヒュッゲについて、そしてそれをどうアートに絡めていけるかを話しあった。
2グループ
● それぞれのヒュッゲとして「バーベキュー」や「サウナ」、「自分らしさ」などがキーワードとして上った。
● どうしても日本人は自身のヒュッゲを後回しにしがちなので、ルーティン化して半ば強制的にヒュッゲ時間を確保するといいのでは、という振り返りもあった。
→森口先生「日本人は自分を大切にすることや好きなようにすることに罪悪感を持ってしまう傾向があるが、それはけしてワガママではなくあたり前のことで、それを許してくれるヒュッゲはステキな言葉だと思います」
3グループ
● ヒュッゲは「安全基地」「ともにいる快適な空間」「自分らしく自然に過ごす場」であり、その根底には自分を抱きしめるような感覚があるのかも。
● 没頭できる時間、例えば草むしりや趣味の時間など、今ココとなる時間がヒュッゲ。
→森口先生「子どもの頃は五感を使って、常に今ココ、没頭しているのに、大人になるにつれて失ってしまう。けれど没頭はすごく楽しいことですし大切にしたいですね」
4グループ
● ヒュッゲを感じるのは、家族とのたわいもない時間。自然体で、ちょうどいい感じ。
● 時間に追われる日本人には、ヒュッゲは背徳感や罪悪感と表裏一体で、その中でヒュッゲを得るためにはルーティン化したり、余白をつくるといいのでは。
→森口先生「背徳感を持ちつつ自分を甘やかすという要素がヒュッゲにはある。外の環境が厳しい中で安全な場にいることでのホッとする感覚など。デンマークは冬の自然環境が厳しい国で、だからこそ優れたデザインが発達してきたが、相反する環境だからこそ文化や芸術が生まれるのだと思います」
5グループ
● 心理状態によってはヒュッゲを感じ取れないこともある。忙しさや、今ココに集中しづらいといった文化の違いもあるかもしれない。
● 一方でヒュッゲという言葉があることで意識ができる。
→森口先生「アメリカからデンマークに来たシャイな女学生が、内向きさも認めてもらえるデンマークは生きやすいと話したエピソードがあるのですが、違った価値観も認められる許容量がヒュッゲにはあるのかもしれません」
6グループ
● 日本語に置き換えると、まったり、はんなり、ほっこり等。
● 入院経験の中でのプチヒュッゲな時間を考えると、病院食でデザートが出たときや、消灯前に同室の方と夜景を見つつ旅の思い出を語り合った時間など。
→森口先生「入院中に患者同士で小さな楽しみを見つけて、患者から個人になれる時間はとても特別ですよね。同じ境遇の仲間は結束感も生まれますし」
7グループ
● 病院内でヒュッゲは感じられるのか?という話題から、ヒュッゲを感じるためのいくつかの切り口が話題になった。①自分がメインでいられる、自分のペースで過ごせること。②効率よりも余白を大切にして、時間や空間を味わえること。③五感を使って感じること。④自然光を感じながら過ごすこと。
● 日々慌ただしい中で、こうして自分の関心のある学習会に参加できている今この時間がヒュッゲ!
→森口先生「忙しいからこそ、今の時間が贅沢で特別な時間に感じられるのかもしれないですね」
グループディスカッション2:対話
他のグループの対話の内容も聞いた上で、また同じメンバーでグループに分かれ、20分のフリートークの時間を設けました。各グループでの内容は、最後にご案内したワークシート(Googleフォーム)に記入いただき、後日、皆さんに共有することにしました。
全体の振り返り
森口先生「この場には職業も年齢も様々な方が、療養環境や私たちの生活がもっと寛容で豊かなものになったらと思って集まってくださっていて、今この時間と空間がヒュッゲだなと思いました。どうぞ次回以降もリラックスしてご参加ください」
鈴木先生「アートとは、療養環境とは、と堅苦しい話ではなく、どういうときに皆さんが気持ちよく感じているかを積み上げて行く方が話が早いのかなと思います。この場がヒュッゲと話がありましたが、森口先生がヒュッゲだなと僕は思いました」
参加者の感想(ワークシートより)
● オンラインヒュッゲ、病院内でのヒュッゲというキーワードから考えることがたくさんあり、面白かったです。確かに病院は閉鎖的でヒュッゲとはかけ離れていますが、そこにヒュッげな時間をアートを用いて取り入れていくのが今回のプログラムの趣旨ですね。今後の講義を通じて、考えていきたいと思います。
● 最後の鈴木先生のお話にもありましたが、まずはアートや療養環境というリミッターを外して、「そもそも人間にとって豊かで幸せな瞬間とは何か」といった根源的なものを、さまざまなバックグラウンドをお持ちの皆さまとフラットに楽しみながら考えて(これこそまさにヒュッゲ時間!)、そして終わった後に自分自身で「では、それを医療福祉の現場で展開できるか」としみじみと思いを巡らせることができました。
● (患者と医療者の相互のコミュニケーションが何よリも大切であり、)その際に対話をつくる方法を提供できるツールがアート&デザインなのだと思いました。その場に存在するアート&デザインを共通の話題とすることで、相互に新しいコミュニケーションが生まれ、より良い状況に繋がることが期待できると考えます。公平に、全ての人の権利が尊重された状態とするためにも、お互いの円滑剤となるようなアートの取り組みに、私自身も貢献できればと想いを新たにした次第です。