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連続講座第6回「メンタルヘルスケアにおけるアートの活用と可能性」

こころの健康問題を経験した人たちが、日々の生活の中で制作した作品を展示した「かく、みる、つなぐ-こころの軌跡をたどる」展。こころの健康、ひとの繋がり、社会のあり方などについて考えるもの。


2020年8月12日(水)18時半から、zoomにて、連続講座第6回「メンタルヘルスケアにおけるアートの活用と可能性」を開催いたしました。100名近い方々が参加しました。

講師は、メンタルヘルス、メンタルケアの領域でのアート活用をされている竹島正先生。現在は、川崎市精神保健福祉センター所長、一般社団法人全国精神保健福祉連絡協議会会長でいらっしゃいます。

今回は、これまでの環境整備や体験によって患者や医療関係者を癒すようなヘルスケアアートから、切り口を変え、精神保健福祉の領域のお話です。そのため橋渡し役となってくださったアーティストの小野さや香さん(当事業の外部推進委員)に講師紹介をお願いしました。

講師紹介




竹島先生のメンタルヘルスとアートでは、アートセラピーだけでなく、精神医療、地域の精神保健でのアート活用をテーマにされていると、小野さんから言及がありました。具体的には…

 ・精神疾患・心の病や障害とアートの関係、その作品の社会的価値を見直すこと
 ・多様性を認め合う共生社会をテーマに社会のコミュニティ形成するアート
 ・コミュニティのトラウマケアとしてのアート
 ・「心」を理解するための教育や社会への啓蒙のツールとしてのアート

など、扱うテーマが多岐に渡り、社会課題と向き合い、超えていくために、アートの社会活用の可能性を大きく見出していらっしゃるとのこと。

受講生の声

今回は、受講生から熱い学びのメッセージの記入が多くありました。一方で「難しかった」という声も同等近くありました。今回の講座はこれまでと切り口が違ったというのは確かなようです。

今回は長文の感想をそのまま、いくつか掲載させていただきたく思います。掲載したものは一部で、受講生からはもっと多くの長文の感想や体験に基づくご意見などもいただきました。

今までの講義の中では、ホスピタルアートは医療やその環境に「そぐうもの」として、環境や他の人に与える影響を考える視点を持つことという気づきがあったが、今回は、アートをつくる表現者から沸き起こってくるものを、他人への配慮や評価などとは別のところで、「表現すること」を大切したアートとしての捉え方があることに改めて気づいた。

表現者の人生の歩み、ストーリーも含め、表現されたものとしてみる視点も大事である。これを障害があるから、健常者だからと分けるのではなく、自分事として自分自身にもひきつけて捉えてみることも大切だと思った。このような視点を持ちつつ、アートを活用することが出来れば、多様なライフステージに立っている人たちへの理解につながる環境づくりに貢献できるのではないだろうか。そのような環境を創造することが出来れば、その場に集う人たちが互いに「違い」を「個性」として理解し認め合う場ずくりにつながっていくのではないかと思った。
難しい!! 純粋なアートとはというものが何なのかを改めて考えさせられたような気がします。職業として生業している方や治療に役立てたいかた、アートを通して生きがいをもってもらいたいと思っている受講生が多いので、そこに付加価値を求めようとしている傾向が質疑で見られましたが、本来アートがもつ本質とは自己表現なんだなぁと思いました。
WHOの定める健康についての3つの視点に加え、竹島先生の仰る「一人の人間のライフステージごとに悩みや精神疾患があるということを認識すべき」ということに共感しました。

作品の売買についてはデリケートな問題をはらんでいて、そのひとの人生の大切な部分を譲っていただくという気持ちが大切ということも大切な視点。もし絵画の売買を行うとすれば、仲介する専門家も必要ということ。描き手の多くは生業として捉えているわけではなく、自発的な、生きる時間の中での想いがアートによる創造だということ。
今まではアートで誰かの支援をしたり、癒しになるように提案をするということがヘルスケアアートであると思っていましたが、自らの健康をアートを描くことで増進できる方々がいるということもヘルスケアアートに含まれると分かり、健康とアートという括り大きさを知りました。

またアートとは販売することを目的にする作家目指すために描くのではなく、自分の中から生まれるものを表現することで健康的に生きていくツールとなる場合があるため、必ずしも収入を得る方法を見出す必要はないということを知りました。この異なる価値観の違いを知らなければ、良かれと思って収入に繋げようとしたとしても、健康になるための活動が負担や意図と異なる行為を促すこととなり、再び苦しめてしまうことも生まれてしまうということも起こってしまうことがあると気づきました。
竹島先生が「治療的効果というよりは、精神的増進効果というべき」とおっしゃったことが印象的でした。グループディスカッションでもそのことを話しましたら、料理や部屋の整理整頓にも「気持ちを落ち着かせる」などの効果があるというご意見をいただきました。「治療」というと、健康な人には無関係のように聞こえますが、「精神的増進効果」と考えるならば、アート(創作からはじまり、時には成果物を誰かと共有すること)は、本来誰にとっても、生きる上で根元的な活動であり得るのだなと納得がいきました。
グループワークの中で「かなり重度の認知症の方が、人生への想いを込めるかのように絵を描かれているのを見て…」という話が出て…自分の管理する病院のデイケアでは、塗り絵はよくやっているが、自由に絵を描く機会はなかったと思い至りました。多分、絵が描ける人などいないと無意識のうちに決めつけてしまっていたのではないかと…自己表現の手段として、取り入れることを考えてみたいと思いました。
精神科で作業療法士として仕事をしています。感覚的に今回の講義にはうなづけることが多かったとともに、それとともに領域の違う方にそれを伝えていくことの難しさも感じました。

アートを通じて自分を表現するだけでなく、アートと通じて表現されたものを通じてその人のことを知ることができることがわかりました。作者自身も知りえない自分を見つけたり、アートを介してのコミュニケーションによって更なる側面を知ること。それは、今という空間と過去・今でつながって生きる自分を確かめ受け入れることにつながり、それが結果としてその人が前に歩みを進めること(治療といえば治療かもしれない)につながっていくのではないかと感じました。

アートを含め、作業を通じて対象者の方の健康的な側面を引き出していくことが精神科作業療法の核にあるのですが、アートを通じて役割から解放されるとういう点に目を向けるとこれまでの講義とも共通点が見えてくるなと思います。アートと前にすると、患者役割はもちろん、社会的役割から解放される効果があるのではないかと思うのです。子供のように純粋な私になれる瞬間がありそれが癒しにつながるのではとお話を聞きながら感じました。

講義の中から



「外部からのアートの提供ではなく、患者自身の意志によるアート活動」
「生きるための作品」
「ライフステージに合わせたアートが求められる」
「本来アートがもつ本質とは、純粋なアートとは」
「人が創造したいと思う力の可能性」
「鑑賞と論評」
「治療などの結果を求めないもの、人の存在と同様に在るだけでよいもの」
「売る、買うというルートとは別次元」・・・

他にもさまざまなキーワードがありました。

人が弱った状態にあるとき、支えるものとしてアートが機能していくこと、表現する、描くことに出会うことで、生きる意欲を取り戻すことなど。精神医療における話題ではありましたが、広くこれまでの講義とリンクする考え方を提供いただきました。講義を振り返り、再び心とアートについて考えるきっかけになればと思います。竹島先生、深い学びをありがとうございました!

次回は耳原総合病院から、院長の奥村先生にご登壇いただきます。コロナ禍で現場のアート活動がどうであったか、そこから改めて見えてきたアートの役割とは。ご参加いただければと思います。


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