事例紹介

アーティストによるプロジェクトの実際

鈴木 賢一

名古屋市立大学大学院芸術工学研究科 教授

もくじ

本記事は、2019年7月25日に開催された「2019ヘルスケア・アートマネジメント連続講座 第3回」のレポートです。

病院をホテルのようなおもてなしの空間に


ぼく自身は病院建築計画の専門家ではないのですが、病院建築を研究している方々が、病院をホテルのようにできないか、という議論をしているのを以前からよく聞いていました。
ホテルはとても快適で、それこそホスピタリティ、おもてなしの場所です。病院に行ったときに手厚く受け止めてもらえるということ。ホスピタリティはホスピスの語源、客人を迎えるという意味のことばです。しかし実際病院はあまりにも機能一点張りで、患者さんにとってやさしくない。病院がホテルのようなおもてなしの空間にならないかと。

すこし前に、アメニティという言葉がよく使われました。アメニティ、つまり病院が快適であるということ。快適である、という言葉はとても難しい概念で、通常、温度や湿度が適切であるとか、からだの生理的な部分に対して抵抗感のすくない心地よさや、使い勝手の良い道具の便利さなどをさします。アメニティはいわゆる物理的、生理的なことかと。
ぼくたちが扱おうとしているヘルスケアアートは、アメニティとはややちがう概念だと思います。重なる部分もありますが、安全、安心、清潔といういちばん大切な部分と、心地いい、快適な場所に加えて、愛着や親密性を感じられる、そういう概念まで広げていきたいと考えています。


人の気持ちに寄り添うデザイン、利用者中心のデザイン


人の気持ちに寄り添うデザインとか、利用者目線のデザインができるといいなと考えています。
この講座のテーマはヘルスケアアートですが、なぜデザインという言葉を持ち出すのか明確にする必要があります。デザインという言葉がいいのか、アートという言葉がいいのか。

これを人の気持ちに寄り添うアート、利用者目線のアートと書くことはできます。実際書いたことがありました。ところがアーティストの方から、人の気持ちに寄り添うとか、利用者目線というのはちがうと。目的を持ったアートなんてない、これはアーティストの表現なのです。目的に沿ってつくっているのではなく、問いかけている。だから何かのためのアートというのはおかしい、そういう反応でした。

一方で病院は、デザインが大切な部分としてあると思います。目的に沿ってきちんとつくらないといけない。
たとえばある病院では、極端な場合、病棟で1日10km歩く看護師さんがいる。それは平面計画が悪いからで、小さな病棟で1日10kmも歩くのはおかしい。それだけ歩くには2時間半はかかる、その分患者さんにケアできる時間がたっぷりつくれます。

このように、病院にはデザインという大切な部分があることはまちがいないのですが、これをそのままアートにすり替えると、共感していただけない場合がある。
デザインとアートについてはいろいろな議論がされていまして、まだ整理しきれないのですが、デザインがベースにありつつ、アートの魅力にもとても惹かれる。問いかけるアートというものに惹かれる部分はあります。


付き添い家族も不安を忘れて思いきり遊びたい 名古屋第一赤十字病院


名古屋第一赤十字病院の小児病棟で、2008年に面白い試みをしました。

幅3m高さ3mの廊下の、床と壁に白い紙を貼って、そこになにを描いてもいいよ、と子どもたちに投げかけました。サポートの学生たちが、子どもたちが日頃なにを考えているか、どんなことに困っているか、コミュニケーションをとりながら作業しました。

看護師さんが驚いたのが、日頃しょぼんとしている子たちが、すごく活発に絵を描く、描きなぐるようにしている姿を見て、この子たちこんなに元気があったのかと。


子どもたちが大喜びで描いていますが、実はつき添いのお母さんたちがいちばん盛り上がっていました。「これ楽しいー!ストレス発散!」と絵を描いている。その姿を見たとき、子どもだけじゃない、親御さんたちもちゃんとケアしないといけないと強く感じました。抜け道のない淡々とした毎日のなかで、不安だけがつのっていく。親御さんだって吐き出したいし、叫びたいのだと思いました



子どもたちが描いた絵をモチーフにして壁画をつくりました。みんな自分が描いた絵を一生懸命探していました。
アートには、いろいろな可能性があると思います。


お年寄りの施設を非日常的な空間に 名古屋市厚生院


名古屋市厚生院というお年寄りの施設で、2019年2月にヘルスケアアートのマネジメントを実際に一般の受講生の皆さんと体験した事例です。


こちらで毎年行われているひな祭りに参加しました。会場のあちこちにお花を飾ったり、アロマを焚いたりして別世界のような非日常的な空間をつくり、そこでプロのダンサーにコンテンポラリーダンスをしていただきました。


ぼんぼりや行灯も演出用につくったり、例年通りおひな様があるだけというひな祭りとは格段にちがいます。
お年寄りのなかには、ダンサーと呼応するように体が動いて、思わず終わったあとに握手をしている方もいました。お年寄りがよくいう「もう死んでもええわ」という声があちこちで聞こえました(笑)
その空間やそこを利用する人の特性、この施設の場合はお年寄りや医療スタッフの方に合わせたアートを企画提案し、施設の方と打合せをしながら実施した事例です

名古屋市厚生院のひな祭りイベントにおけるヘルスケアアート

2月28日 実践WS第6回 企画実施しました


アーティスト側から病院にアートを提案 札幌市立大学


札幌市立大学にはデザイン学部と看護学部があります。そこでデザインの頭文字DとナースのNを合わせてD×Nというデザインと看護の連携プロジェクトをしています。

デザイン学部の山田良先生と看護学部の定廣和香子先生のX×N Art in Hospitalプロジェクトについて、2019年2月に話をうかがい見学をさせていただきました。そのプロジェクトでは「風の家/Breathing House」という、おうちや籠のような、透けて見えながらもちょっと囲まれた空間をつくる、不思議なインスタレーションを制作して病院に設置しています。

面白いのは、施設から依頼をいただいて提案するのではなく、まず山田良先生がArt in Hospitalをテーマに「風の家」を制作され、その作品を設置しませんかと、平成27年度に札幌市内の207の病院に問い合わせたというのです。ぜひ設置してほしいというところが、最初は1か所。設置するだけなのにわずか1ヶ所しか反応がないのかと、デザインする側からすると感じるのですが、受け入れ側は当初そのような状況でした。



受け入れてくれたのがこの精神科の病院で、とてもいい感じのコーナーに、ちょうどふわっとおうちがぶら下がっています。不織布と鉄骨フレームで作られていて、全体的に白を基調とした清潔感あふれるインテリアです。あたかもはじめからここに設置することを意図したように馴染んでいて、訪問した時も利用者さんがくつろいでいました。

こちらの施設で設置をされた後、看護学部の定廣先生がアートの効果を知るためのアンケートを実施し、その結果からエビデンスを得るとともに、作品に改良を加えるなどしたそうです。そして、平成29年度には北海道内359病院そのエビデンスを添えて再度、設置の希望を聞いたところ、希望する病院は7病院に増えたということです。

こうした新しいアートの提供の仕方、あるいは現場とアートのつなげ方はとてもおもしろい手法だと思いました。空間アートによる療養効果の研究が、アーティストと看護学の専門家のコラボレーションで進められていること。お互いの専門性を尊重しながら、新しい分野に切り込んでいることも興味深く感じました。
プロジェクトの概要は、アートミーツケア学会のオンラインジャーナル第9号からPDFをダウンロードできます。


[研究ノート]空間的療養効果を重視したArt in Hospital 風の家 《Breathing House》
(外部サイト)

これは札幌渓仁会リハビリテーション病院のロビーの写真で、吹き抜けの空間にアート作品がぶら下がっています。これも山田良先生が関わったもので、訪ねた際には山田先生の研究室の学生さんの作品が飾ってありました。アートと空間がとてもマッチしています。


継続的なアートの提案 びょういんあーとぷろじぇくと


札幌視察では、数名のアーティストがいっしょに活動している任意団体「びょういんあーとぷろじぇくと」の取り組みも見学しました。


代表の日野間尋子さんは、富良野の障害者施設で絵画指導をしていて、その絵画を札幌市内の病院に飾ったり、切り絵をつくって定期的に飾りつけたりと、病院お抱えアーティストのようなかたちで活動されています。

ホームページ( https://www.hinoma.com/hospitalart/ ) には、これから3年間、いろいろなアーティストが交代で展示をしますという告知がされています。それは病院側が日野間さんたちを信頼されていて、この方に頼めば間違いないと、アートを受け入れているように思いました。

私たちの研究室の活動では、基本的に施設側、病院から依頼を受けて活動することが多く、また建設時や改修時に手がけて完成すればそれで終わりということになるのですが、こんなふうにさまざまなかたちの活動方法があることを知りました。


モノのデザイン、コトのデザイン、イミのデザイン


さて、ヘルスケアアートに関して、患者さんや医療スタッフの方がアートをどのようにとらえているかを考えてみます。

オー・ヘンリーの「最後のひと葉」という物語をご存知と思います。肺炎になったアーティストが、病室から見えるツタの葉の最後の一枚が落ちたら死ぬと言っていた。ある嵐の翌朝、葉は落ちずに残っていて、それが生きる気力となった。実はその最後のひと葉は、アーティストの階下に住む老画家が嵐のなかで壁に描いた絵だった。という、じんとくるお話です。
こういう人間特有のもののとらえ方があるとすると、最後のひと葉の意味を少しでも理解する必要があります。



病気の治療をする場面では、治療中心の非日常的な環境に放り込まれます。

そこにあるのは第一に、病院にふさわしい環境が用意されているか、という側面。次に、患者の立場になると主体性が喪失したり感性が抑圧されて、まるで人ではないような気持ちになっていく、という側面。最後に、理不尽な不幸、わけの分からない不幸に陥っていって、不安だけが増大していくという3つの側面があるのではないかと思います。

環境にはモノ的な解決の方法があり、またデザインにはコトとして患者に対応する場面があると考えこれまで活動を続けてきました。それらに加えて、イミの世界を理解したいと思うわけです。



療養する病院という環境のモノの世界、病院で療養することというコトの世界、そして病院療養におけるイミの世界の中で人の気持ちは揺れ動いているのではないかと思います。
モノのところは快適に過ごせる環境をきちんとつくっていきたいし、コトのところは変化や張りのある療養生活をできるようなサービスを提供していきたいし、イミのところは療養生活の意味に不安や疑問を感じることのない配慮を用意できないものであろうか。

人が不安になるのは、わけもなく怒られたり、無視されたりするときはもちろんですが、わけもなく誉められるとか、わけもなくやさしくされるときも同様だと思います。誉められたりやさしくされるのは心地いいのですが、意味もなくストレスを受けるのはとても気分がわるい。理解ができない。

だから人は、わけのあること、つまり意味を求めているのではないか。



因果関係を知りたい、あるいは物語をつむぎたい、なぜそうなっているのかというストーリーがほしくなる。人には、意味がわからないと不安になるという習性があるのではないか。
なぜ自分はここにいるのだろうとか、自分の出自がとても気になる。なぜいま自分がこういう状況に置かれているかを知りたくなる。
人は自分を知りたいし、世界のことをつまびらかにしたい。そしてわかると、安心してすっきりする。ああそうかそういうことなのか、とわかってやる気になる。

ぼくが大好きな、ヨシタケシンスケさんの『りゆうがあります』という絵本に面白い話がありました。

子どもが、「ベッドのうえでビョンビョンしちゃうのは」なぜかというと、「みちがトランポリンみたいになっちゃっても、ちゃんとがっこうにいけるようにれんしゅうしているから」というのです。めちゃくちゃな理由です。さらに、「ろうかやおみせで、ついはしっちゃうのは」なぜかというと「ダッシュ虫があたまにとまって、そのせいでからだがかってにうごいちゃうからなんだ」という、まったく勝手な理由をつけている。これ親は怒れます。でも子どものほうは、けっこう納得している部分があるのではないか。

理由というのは、合理的でなくてもあればよくて、たとえばせっかくの旅行に雨が降る、なぜだ、友人が雨男だから、ああそうか。それで乗りきれる。チケットがとれなかったとしたら、神様が行くなといっているのではないか、それで納得ができる。合理的な理由でなくても、ストーリーをつむぐことができればそれでいいわけです。



このモノ・コト・イミの3つの階層からヘルスケアアートについて、もう少し詳しく考えてみました。

まずはモノ、物的な環境の階層です。図の横軸は環境軸で、左は自然の要素、右は人工的な要素です。自然要素としては光や水や風、緑があるといい。人工要素としてその空間にふさわしい彫刻や絵画があったらというアーティフィシャルな世界。それから縦軸は、室内外の広がりを示す軸で、下が屋外の環境で上は室内の環境です。屋外環境は施設の立地やランドスケープを示し、室内環境は施設内の廊下や部屋、家具などを示します。これは体が五感で喜ぶ世界、生理的に気持ちがいい、という要素です。



次にコト、療養生活に関わる階層です。縦軸は、アート活動の種類の軸で、上は見たり聴いたりしてイマジネーションを膨らませる活動、下は直接手を動かして造ったり描いたりするクリエーションに関する活動を表しています。横軸は、アート活動への参加の形態を示す軸で、左は見たり聴いたりの参加、これに対して右は触ったり造ったりする直接体験への参加を示します。この階層は、強いて言うなら脳みそが喜ぶ分野です。



最後のイミは、療養生活におけるアートの意味の階層です。縦軸は、アートが働きかける対象者を表す軸で、医療スタッフから患者さんまで医療にかかわるいろんな人が対象となります。そして横軸は、働きかける意味の違いを示す軸で、左は過去の記憶に関わる意味、そして右はその瞬間に抱く愛着やユーモアなどを示します。たとえばなつかしさを感じるとかユーモアを感じるとか愛着を感じるとか、しばしばこういう言葉がアートの受け止めのなかに出てきますが、そこに意味を受け取る人の心の在りようが在ります。
これはまさに心が喜ぶ階層として考えてみました。



「心身ともに」、あるいは「病は気から」ということばがあります。第三者的に自分を見ている脳みそがあって、身の回りの環境や、自分自身のからだや気持ちを冷静に見つめることができるかどうかに関わることです。

自分はいま、心地いい状態なのか、怖がっているのか、大丈夫かと別の自分が見ています。不安や絶望などのマイナスの状態にアートが働きかけることで前向きな気持ちを獲得するチカラになるのではないか。アートが「大丈夫かい」と問いかけてくれることで、何か特別な意味が見つかり瞬間的に気持ちが切り替わり、心が解放されて、冷静さや前向きさを取り戻していくようなことです。
そんなことを想像しながら、ヘルスケアアートを階層的に捉えていくことができるのではないかと思って、このようなスケッチを描きました。

最後にもうひとつ、長新太さんの『イカタコさんのおいしゃさん』という絵本を紹介します。
「へびが、はがいたいよとないています」ここからいろいろストーリーが進んで、最後どうなるかというと「イカタコさんがあしをいっぱいだして、なでてやると、すぐになおりました」と。
イカタコさんは、お医者さんなのかアートなのか、わかりませんが、歯が痛いというへびさんを、こういうかたちで治していくところが、すごいなぁと。こういうものをエビデンスにしていきたいなというのが、ぼくのいまの心境です。