2020ヘルスケア・アートマネジメント連続講座 第5回

医療の質と安全を向上させるアート

大阪市立大学医学部附属病院 医療の質・安全管理部 部長、病院教授
山口(中上) 悦子

もくじ

本記事は、2020年8月5日オンラインで開催された「2020ヘルスケア・アートマネジメント連続講座 第5回」のレポートです。


本日はまず、「医療の質と安全」について少し解説し、なぜ医療の質と安全にアートが結びつくのかをご理解いただいた上で、実際に私の病院で行っている事例を紹介します。


品質と医療の質


では最初に皆さんへの質問ですけれども、良いものって何でしょう。よい車、よいトイレットペーパー、よい〇〇、商品ですよね。よい○○と言ったときに皆さんいろいろ想像されるかと思います。



例えば、車だったら速いとか自動運転がついているとか。トイレットペーパーだったら香りがいいとか肌触りがいいとか。これらは、それぞれの商品の価値といわれるものですよね。
では品質とは何でしょう。車であれば安全で丈夫で壊れにくい、操作がしやすいといったことですよね。トイレットペーパーなら人体や環境に有害でないとか、水にちゃんと解ける。こうしたことが品質に分類されるのではないでしょうか。
こうして見てみると価値と品質とは、重なりもあるけれど違うものもある。気がついていただけたでしょうか。私たちがよい○○というときに、その価値と品質とをごっちゃに考えていませんかというのが最初の問いかけです。

では、病院に当てはめて考えてみましょう。
日本語では質の良い意味が品質らしいのです。ただ医療の場合、品質とよばず「医療の質」というそうです。ここでは医療という活動のプロセスで生産されるさまざまな製品、行為や情報の品質を「医療の質」といいます。
さて、医療の質の良し悪しは、決まっています。車とかトイレットペーパーであれば、それぞれ商品ですから企業の努力によって質を保っている部分があると思うのですが、医療は商品ではありません。ある程度公的なお金を投入して、みんなが助け合ってお金を少しずつ出して支えている社会機能の一つですから、病院が勝手に決められるようなものでもないのです。医療の質として最低求められるものは世界的に決まっています。


医療の質において安全性は大前提



まず医療の質には構造・プロセス・結果の3つの構造があります。ドナペディアンという人が1970年代に提唱したモデルで、今でも使われています。例として、構造には設備や体制など、プロセスには治療やケアなどのプロセス、結果には死亡率や満足度などが含まれます。この3つの視点に6つの指標、安全性・有効性・患者中心志向・適時性・効率性・公正性があります。これらをバランスよく高めていくことで医療の質が高まります。これは世界共通です。
指標の最初にあげられる安全性はコアバリューと言って、最も重要でかつ大前提とされているものです。安全性がなかったら、医療と言ってはいけないです。
有効性とは治療の効果が高いといったことですが、薬をたくさんくれる病院や、高い医療機器で高い医療をする病院が有効性が高いわけでもありません。科学的根拠に基づいた医療やケア、サービスが行われていることです。
患者中心思考は、患者さんやご家族を中心に考えましょうというのでわかりやすいと思いますが、次の適時性はちょっと分かりにくいですよね。適時性とは、適切なタイミングで適切な医療が患者さんに届けられるということです。
次の効率性は、時間や場所、人などさまざまな無駄を省いて、効率よく適切な医療を行うということです。何でもかんでも検査をするとか、過剰に高価な設備を導入するだけでは医療の質が高いとは言わないんですね。
最後の公正性は、人種や宗教上の差別なく、社会的に弱い立場にある子どもやお年寄り、病気や障害を持った人などどんな状況にある方にも、医療きちんと届けましょうというものです。



これを図解してみました。構造は根っこから幹、プロセスは枝です。そして結果を実や葉っぱと置き換えたんですけども、考えてみると、先ほどの6つの指標を「構造・プロセス」の中でしっかりやることによって「結果」として、安心して満足できる医療であるとか、納得して信頼できる医療が提供できます。この結果の部分がおそらく「価値」で、プロセスと構造を6つの指標に基づいて行った結果として、病院は高い価値を生み出すことができるというわけです。


組織的な価値創造と、トップの方針に基づく継続的な改善


では次に、こうした医療の質を高めて価値を生み出すために、病院は何をしなければいけないのかという話をしたいと思います。



突然ですが、病院とオーケストラはすごく似ていると思います。1人1人の演奏者はそれぞれのプロで高い技術を持っています。ただ、リーダーである指揮者が、イメージや方向性をそれぞれの演奏者に伝えて、まとめ上げていかなければ、けしてオーケストラとしては良い演奏ができないわけですよね。これすごく病院に似ていると思います。ですから、病院がよい医療をするかどうかは、リーダーにかかっていると言っても過言ではありません。



リーダーは組織の理念に基づいて自分の方針を出すと思います。病院の場合、政策や医療制度に影響されるあたりが企業とは違います。しかし、病院長が方針を出さなければいけません。この病院長の方針を明確に出している病院は少ないかもしれません。病院長の方針が明確に出されて、初めて部署の方針や目標が定まります。部署の長は、病院長の方針を実現するために、自分たちの部署はこうしようという部署の方針を示して、部下の人たちは、じゃあ自分たちはこう行動したいという目標ができ、これが目標管理です。
こういうことを経て初めて質の高い医療を行う病院の基本ができるのです。まだ計画ですから、あくまで基本です。計画して実施して、さらに評価と修正をしないといけません。いわゆるPDCAサイクルを回して質を高めて価値を生み出す。質の高い病院とか、質の高い医療は一朝一夕にできるわけではないんですね。



これは私の所属する医療の部署の例です。私たちの病院は医学部附属病院なので、大学医学部の理念があります。その理念に基づいて、病院長が方針を絵や文にして示してくれ、それを折に触れ示して「協力してほしい」と各部署におっしゃっています。
そこでうちの医療の質・安全管理部は、2つ方針を掲げました。一つは、病院全体向けた方針です。もう一つは部内向です。というのも医療の質安全管理部というのは特殊な部署で、医療従事者が配属されているのに病院の中で唯一医療をやらない部署なんです。教育による病院の組織変革を目指したマネジメントを担当する部署なのです。そういう本質は、これまでの病院の仕事にどっぷりとつかっている古い体質の医療従事者にはわからない。会社出身の人はわかるんですけど。それで部署としての位置づけを部署内外の職員に示さなければいけないのです。
さて、方針ができたので戦略を立てました。一つは教育の充実。次が体制の充実。それから、ITの導入、透明性の向上、そして大学病院として研究開発の促進や他施設との協働、という5つです。そして各戦略に基づいて、戦術、つまり具体的な業務内容を細かく決めます。これを一つひとつ実践しながら評価をして、年度ごとの評価をして、次の年度に修正をして、また改善をしていく。日本のトヨタをはじめとするものづくりの現場が世界のお手本である、継続的質改善をずっとやっているのです。


安全のアートの応用


そして、ここでようやくアートが出てくるんですが、この戦術の中でアートを応用した方が業務が上手く回る、よりよくなることがわかったら応用する、というのが今の私たちのスタンスです。では、どういうところにアートを応用しているのか、私たち大阪市立大学の医療の質・安全管理部の事例をご紹介します。


アートを応用した事例

事故対策
転倒防止 → アニメーション

事故対策、教育
危機感の共有、事例の語り継ぎ
共感、孤立を防ぐ、情報をつなぐ→ アニメーション

教育
静脈血栓塞栓症予防
興味のないことを理解してもらう → ゲーム

教育
コミュニケーションとリーダーシップのトレーニング
「できなかったことができるようになる」(=発達)→ 即興演劇

医療安全の仕事って教育が主なのです。アニメーションやゲームが多いことに、気づかれたでしょうか。医療の質・安全管理部の仕事はメディアアートと親和性が高いんです。


アニメーションで患者さんの意識変化を促し、転倒防止


一つ目はアニメーションの事例です。転倒・転落の防止は、全国の病院で非常に重要なテーマです。65歳以上の約3割、70歳以上の4割近くが、転倒してしまうんですね。病院でこけると非常に大変で、入院が長くなってしまいます。医療費もかかりますし、入院が長くなることによって転倒後症候群をおこしてしまい、中には患者の20%が1年以内に死亡する、というデータがあるくらいです。転倒は非常に困ることなんですね。


そこで、ある程度患者さんご自身で動けるような病棟で、患者さん自身が気をつけて転ばないようにするためにはどうしたらいいか。患者さんへの教育も、転倒防止策の中で重要対策の一つです。



そこでアニメーションが使えないかを検討しました。お年を召した方も多いので、最初は心配する声もあったんですけれど、病床のベッド横のテレビで見られますし、リアルな映像よりアニメーションの方が気楽に見られるのではないかということで作ってみました。すると意外と好評で、骨折のシーンが分かりやすくてよかったというような意見が多かったです。
実際に見てみましょう。

動画 『転倒撲滅シアター 〜ナースコールを押そう〜』



いかがでしたでしょうか。映像を見た方と、見ないで看護師が口頭で説明だけした方を比較したデータがこちらです。



左側のグラフは患者さんご本人の回答です。入院してから転びそうになった、転ぶ経験をしたというのをアンケートで聞きますと、アニメーションを見た人たちの方が圧倒的に少なくなっていました。面白いことに、65歳以下だとあまり差がないですが、65歳以上だと非常に優位に少なくなっているんですね。



もう少し細かくみてみました。転びそうになった、転んだ経験をした患者さんの性格傾向を見てみますと、自分の身体機能を高く見積もる人はあまり差がないんです。ところが自分の身体機能を低く見積もってしまう人とか、看護師にあまり遠慮せずにナースコールをすぐ鳴らす人とか、入院中の不安が強い人は、すごく効果があったという結果が出ています。逆に考えると、こうした性格傾向のある人をアニメーションで「脅して」転ばないようにしているんじゃないか、と思ったんです。ですので、アニメーションは非常に有効な手法ではありますが、キャラクターの設定やストーリーによっては、過剰な感情の反応を引き起こしてしまう恐れもあると報告されていますので、注意して作成しなければいけないということが分かりました。


「防ぎえた急変」の撲滅を目的とした教育アニメーション『EARRTH』



次は当院でおこった医療事故に対して、アニメーションをつくった事例です。
2014年にある事故が起きました。中心静脈といって心臓に太い点滴を入れる処置の際に、誤ってその横にある縦郭に入ってしまうことがあります。これはどんな人がやっても一定頻度起こる、仕方のないことです。ただ、その後にすぐに抜いて入れ替えればいいのですが、それに気づくかどうかが問題で、この2014年の事例は気づけなかったため事故になりました。
では、なぜ気づかなかったか。それを掘り下げた結果、担当していた若い看護師や医師が、すぐに上級医や先輩看護師に相談できなかったことが分かりました。けして上級医や先輩看護師が怖い人だったのではなく、このぐらい大丈夫だろうと報告や相談をしなかったんですね。なぜかというと医療現場では何でも自分でやりなさい、一人でできないと一人前じゃないよと育てられるために、抱え込んでしまうことがよく起こるんです。
それを、一人で抱えることがよくなくて、気付いたことをいろんな人と素早く共有して、いろんな職種や診療科や部署の人と上手に協力して、患者さんを助ける方が一人前なんだよと教えなおさないといけません。一人で何でもできるよりも、早く助けを呼んでコラボ出来る人の方が優秀だ、その方が価値があるんだ、と病院全体の文化を変えていかなくてはいけません。そのために一体何ができるのかを話し合いました。



これは医療の質・安全管理部の救急専門医の羽川先生が発表されたものです。若い人たちが相談しやすくなるような体制作りもしなければいけませんので、このEARRTHという教育プログラムを作りました。彼はここで、早くチームで気づけば患者さんの安全を守れる場合の急変のことを、「防ぎえた急変」と名付けています。



ではEARRTHをどう運用するか。まず連絡や報告のフローを作りました。こういうマニュアルやフローチャートはだいたいどこの病院でも作ります。うちの病院も必要なので作りましたが、ここで終わると、徹底ができません。
そこでアニメーションを作ったわけです。なぜ、職員全員がこのフローに沿って行動しなければならないのか。行動しなかったらどんなことが患者さんに起きるのか、行動することによって自分がどれだけ安心できるのか。患者さんのためにやりがいを持って仕事ができるのか、そういうことを伝えるための映像です。

動画 『EARRTH~Early Awareness & Rappid Response Training in Hospitals』
職員・学生向けチームトレーニング用教材として開発したアニメーション



※下記の日総研のサイトから動画をご覧いただけます
https://www.nissoken.com/ps/32/08/earrth/

このようなアニメーションを使った研修を現在も続けています。
紹介した動画制作に関して少し説明すると、アニメーションの制作は外部委託したわけではありません。我々の場合は研究として取り組みました。芸大の先生や学生さんと一緒にシナリオから絵コンテまで、すべて一緒につくりました。作画やアニメーション制作は学生さんがしてくれたのですけど、事前に学生さんが病院に来て取材をし、写真からキャラクターや背景画像を作り、それを私たちがチェックをしてというやり取りを経ていて、そうした学生への教育も大阪市立大学としての使命だと考えています。


ゲーム型学習ツールを利用したマニュアル学習の促進



次の事例は静脈血栓塞栓症、いわゆるエコノミークラス症候群の予防に関するものです。非常にまれな疾患ですが、致死率が高いので、全国で予防しようという動きになっています。ところが、多くの医師や看護師は、めったにないし、仕事が増えるとあまり真面目に考えてくれないことが多いんです。専門分野の勉強に必死な若い医師や、専門以外のことに興味が無い医師は特に、興味を持ちません。



それを自分たちのこととして取り組めるようにするにはどうしたらいいか。ここでゲームを使ってみようというのが次のアイディアでした。
これは、北村君というゲーム好きな医療安全専従の臨床工学技士が、プロジェクトを担当してくれました。静脈血栓塞栓症のマニュアルを見直したり、仕組みを作ったりしつつ、普及啓発するためのゲーム型学習ツールを彼が作りまして、その効果を検証しました。



TYRANO BUILDER(R)というアプリの無料版を使って、作ってくれたのが、このようなゲームです。
ノベルゲームというらしいのですが、キャラクターが話をしていることなどを読み進めながら、途中、自分で選択して進めていきます。その中で、静脈血栓塞栓症予防の評価や対策を、ゲームをしながら学びます。間違えたら後輩のキャラクターから突っ込まれ、正しい選択肢を選ぶと褒めてくれる、と。
そして、学生さんと研修医の先生たちに協力してもらって、学習結果の評価をしました。



画像の中、図4を見ていただきたいのですが、左がゲームを使った人、右はゲームを使わなかった人の点数です。その差は明らかで、若い人の場合はゲームを使った方が点数がよいことが分かりました。
ただし、アンケートを取ってみると、逆にゲームだけでは不十分で、ゲームをしたからこそマニュアルを読みたいという声が出てきたんですね。これはとてもいいことで、これからはゲームとマニュアルを充実させて両方併用したほうがいいということを臨床工学技士の北村君が突き止めてくれました。


即興演劇でコミュニケーション力とリーダーシップを育てる



最後は、コミュニケーションとリーダーシップを育てるトレーニングの事例です。これもまた難しい課題で、なぜかというと、よりよいチームワークにはコミュニケーションとリーダーシップが大事ということは皆さん知っていると思うんですが、病院の場合は一般的に人事考課に関係しないんですよ。トレーニングを受けてないし、専門外だからよく分からない。できなくても自分たちは困らない。職員の本音としては、医療以外のことは興味がないし、できる必要もないと思っているんです。
こういう人たちに対するトレーニングは、大変な課題です。そこで、演劇を取り入れてみました。

ニューヨークにあるEast Side Instituteのホルツマン先生という方に習ったのですが、ホルツマン先生はソーシャルセラピーという社会や集団の発達を促す手法を開発しておられて、その中に即興演劇の手法も取り入れられていました。
即興演劇というと難しく思われるかもしれないですが、簡単なゲームのようなものです。「やったことのないこと、やり方を知らないことをやってみる」「いつもやっていることを、違う方法でやってみる」という程度のことです。一緒にやっている仲間の状況をありのままに受け入れて表現し、否定しない、むしろ賞賛する。アホなこととかをやっても、おもろいやんと言ってあげる。非常に大阪にフィットする方法ですね。これ実は、世界では企業の研修や学校教育、地域づくりなどに盛んに使われていて、日本でも企業では結構取り入れられている方法です。


加工した写真でお見せしますが、左は普通の会議室に椅子だけ持ってきて、2人ペアで会話のトレーニングをやっている様子です。右は、「せーの」という声を出さずに一本締めをしている様子で、声を出さなくても息が合うかというゲームみたいなものです。



これは1人を囲んで円になり、自分の立ち位置から真ん中の人の目と耳と鼻と口がいくつ見えるかを言っていくものです。正面にいる人は目が2つ、鼻が1つ、口が1つ、耳が2つと言えるけど、後ろにいる人は耳が2つしか言えないわけですよ。意見が対立するときというのは、同じものを違う方向から見ているんだ、と実感してもらうためのゲームです。
こうした簡単なゲームで研修を組み立てます。時間も場所も人数も自由に組み立てられる研修です。

ということで、4つの事例を紹介してきましたが、最後に大事なものは評価ですね。私たちは、それぞれのプロジェクトを医療の質の6つの指標に照らし合わせて、毎年評価をして、次の年の開催の有無、続けるか否かを考えています。


対談 山口(中上) 悦子 × 鈴木 賢一



鈴木先生:
山口先生、ありがとうございました。今日は病院を全く違う視点で見せていただき、すごく新鮮でした。病院の中で皆さん転んでるんですね。転倒防止をアニメーションでやってみようと思われた、最初のきっかけは何だったんですか。

山口先生:
転倒の予防は、世界中の看護師さんがもう本当に苦労してやってらっしゃるんですよ。もう有効な方法がないと言われているんですね。そこで、看護師長さんたちの聞き取りをしたところ浮かび上がってきたのが、今まさに先生がおっしゃったように、皆さん自分がこけると思ってないという事実です。ではどうしたら、自分ごととして思ってもらえるかという検討から始まって、映像がいいという話は当初からあったんですけど、アニメのがおもろいんちゃうという感じで決まりました。

鈴木先生:
結果的に、世界中の看護師が苦労しているものが、アニメーションという方法で、当事者意識を持つというのか、自分の身に降りかかるぞというのがビジュアルで入ってくると。

山口先生:
そうですね、強力だと思います。アニメで「脅す」(笑)方法が有効だということは少なくとも分かったんですが、実はその後の調査で、転倒はまた元に戻ったし、骨折するようなひどい転倒も減っていないことがわかったんです。なぜかというと、結局どう見せるかが問題なんです。見てくれた人には影響が及びますが、見せるためには、デバイスの問題もありますし、誰かがそこに介入しないといけないですよね。

鈴木先生:
ただ見ておいて、ではないのですね。

山口先生:
そういうことです。これは論文のレビューの方に言われたんですが、見た後のフィードバックをどうするのか、見せっぱなしでは駄目なのでは、という意見はいただきましたね。やっぱり見た後にどうでしたかとか、ちゃんと聞くべきで、双方向でないと教育は学習効果が上がらない。そういう意見は他の論文にもありました。ただ日本ではそこまで人手がかけられないですよね。

鈴木先生:
なるほど。

山口先生:
結局、よいツールを作っても、それを有効に動かすためには仕込みがいると思います。

鈴木先生:
効果測定ではお年寄りの方が効果があったんですよね。あれは想定外だったのですが、お年寄りは文字情報を拒否しがちなところがある気がするので、文字ではないアニメーションが効果的かもしれませんね。

山口先生:
それはあるかもしれませんね。文字情報という話題に関連して、私先日入院しまして、それで患者を体験して感じたんですが、医療従事者は喋りすぎというか、情報を過剰に相手に押し付ける傾向がありますね。でも患者としては、次に自分がすることは何かを聞きたいわけです。先のことは紙に書いてあるので後で見といてください、でいいわけなんですけど、一週間先のことまで全部喋るんですよ。また質問されるのを医療者は嫌がるんですね。とりあえず自分の仕事として言うだけ出してしまって、それで終わったと思っているので、質問が来ると嫌な顔をしてしまうと。

鈴木先生:
全部しゃべったのに、と(笑)。医療者もやっぱり天使でも神様でもなく、普通の人間なんだってことですね。『EARRTH』の映像で看護師さんが不安がっている様子がありましたけど、判断を任されたりする場面ではすごく孤独だったり、あのように患者さんに接しているとは思ってなかったので、ちょっとびっくりしました。

山口先生:
あれは、制作された学生さんの感性もすごくみずみずしくて良かったと思うんですけれども、指導された京都芸術大学の村上先生のきめ細やかな仕上げもすばらしくて、医療従事者の孤独と阻害という作品のテーマを見事に表現してくださって私も感動しました。

鈴木先生:
今日、チームワークやコミュニケーションのトレーニングにアートを、演劇を取り入れるという話をうかがいましたが、文字情報やマニュアルでチームワーク作りましょうではなく、一本締めをやるだけで何かに気づくというやり方がすごくいいなあと思いました。ああいうことは、他の病院ではやってないのですか。ぜひ全国に広げてほしいです。

山口先生:
多施設共同研究でやっているので、ちょっとずつ広がるかと思います。でも大阪の方が始めやすいんでしょうね。

鈴木先生:
実は、先ほどグループワークでの話題でも、このアートと医療という分野はどうやら関西の方が相性がいいという指摘がありました。

山口先生:
それはありますね。私たちは知識に頼らないということも、必要だと思うんですね。生きることであるとか、命であるとか、医療の現場は知らないことの連続なんですよ。患者さんにはそれぞれのバックグラウンドがあって、同じ病気でも全然症状が違えば合併症も違うわけですね。それに対し自分の経験とか知識だけに頼っていたら絶対破綻して、医療事故は起きるんです。だから、知らないことを受け入れつつ、人と人とが繋がり合って新しい知恵を生み出す、そういう営みでしか対応できないことがあると思うんですよ。知らないことへの脅威が目の前に迫っている医療現場だからこそ、未知に立ち向かうためのトレーニングが必要なんですね。知らないこと、枠組みのないことに一歩踏み出す。これ、アートじゃないですか。

鈴木先生:
なるほど。

山口先生:
何もないところに道を作るのはアートじゃないですか。だからこそ医療とアートは親和性があるんじゃないかと私は思います。

鈴木先生:
患者さんの側からすると、自分の1回きりの病気を治して欲しいという話だと思うんですけど、お医者さんの側から言えば、またこのタイプの患者さんが来たという、毎日のルーチンの中にあってマニュアル的に対応すれば治っていくのが見えていて、その患者さんとお医者さんとの間に何か意識の違いがあるのかなと思いました。

山口先生:
そうなんです、本当にそれが怖いんです。医療はすごく専門分化しているじゃないですか。同じ病気、同じ治療、同じ技術をずっとやっている。極端にいうとたとえば心臓外科は脳は診ないし、脳外科は首から下は見ない、人がいる、という意味で。そういう人は、先生がおっしゃるように、毎日が自分の専門分野だけの、同じことの繰り返しになってしまう。実は、目の前でいつもとは違うことが起こっているのに、自分の知っている事象の一部だと思い込んでしまうんですね。そういうときに大きな事故が起こります。事故の当事者はたいてい、いつもと同じ合併症だと思っていたと言うんですね。

鈴木先生:
なるほど。

山口先生:
だから大変なことになっていても助けを呼ばないんです。よばなくても対処できると思っている。医療従事者を責めているわけではありません。なぜかというと、いつもと同じだと思いたい、これは人間の心理なんです。いつもと同じ状態だと思い込みたい、そうやって心理的なストレスを軽減して安定しようとするのが人間の本能で、普通の人はみんなそうです。たとえ医療従事者であっても。ところが、アーティストはいつも違う見方をしようとするじゃないですか。

鈴木先生:
それがやっぱり大事ってことですよね。毎日のルーチンとか決まりきったマニュアルとかを、これでよかったっけと疑問を投げかける。だから、アーティストが入ってきたときに初めて気づかされるというか。

山口先生:
いつも同じことを違う方向から見てみる。私の知ってるアーティストたちは、おもしろいことをよくするんですよね。例えば歯ブラシの使い方でも、そう使う?みたいなの。本人たちはボケてるつもりはなくて「いや、こう使ってみたら面白いかなと思って」とか真面目に言うんですよ(笑)。そういうアーティストの習慣ってすごくいいなと思います。

鈴木先生:
笑。今日は芸大の皆さんとコラボしながらやっている成果を見せていただきましたが、それをぜひ全国に広めてほしいと強く思いました。うちの大学にも以前、例えばiPadで子どもたちに病状を伝えるための何かコンテンツを作ってほしいと依頼があって、そのときはそういうスキルを持っている学生がいなかったものですから断ったんですけれども、そうしたベースになるものを作って汎用していただくとずいぶん変わってくるのではないでしょうか。

山口先生:
そうですね。どんなに良いコンテンツを作っても結局、最後は人。なので、どう運用するかは大きいですね。

鈴木先生:
そうか、結局マニュアルを作って終わりじゃダメなのと同じで、良いコンテンツができましたで終わりではなく、その後が大事なのですね。

山口先生:
はい。その時、最善の建物を建てたけれども、その後、使う人がどうメンテナンスし、マネジメントしていくかによって、残念に思うこともあるんじゃないかと思うんですけどね。それと同じでしょうか。

鈴木先生:
作ってしまうとゴールになっちゃうんですかね。

山口先生:
人間、そうなんでしょうね。そういうことを多分トヨタは戒めてるんだと思うんです。名古屋だけに、やっぱりトヨタのことを言うとかなと(笑)。

鈴木先生:
カイゼンですね、カイゼン。この病院の質と安全というのが、モノの話ではなく、やっぱり人と人との繋がりだとかにものすごく寄りかかっているというのが僕の最大の気付きでした。今日はどうもありがとうございました。


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