第2回 ヘルスケア・アートマネジメント連続講座 2019.07.18

病院におけるアートディレクターの役割

耳原総合病院チーフ・アートディレクター/NPO法人アーツプロジェクト理事
室野 愛子

もくじ


本記事は、2019年7月18日に開催された「2019ヘルスケア・アートマネジメント連続講座 第2回」のレポートです。

いま流れている曲は「Beside Life」という、病院環境のためにつくった音楽です。病院の中では、ナースコールや機器の音などがストレスになることもあると思い、雑音をフラットにする曲を京都精華大教授で音楽家の小松正史さんに依頼してつくっていただきました。
私は京都の宇治生まれで、耳原総合病院のアートに携わって7年目です。2013年、病院の建て替えのときに入ってアートディレクターをしています。病院の中に駐在しているので、いろいろなものが見えてきます。今日はご縁をいただいたので、病院の中での話をたくさんしようと思います。


「無差別・平等」の医療を求めて


耳原総合病院は大阪の堺市にあります。人口84万人の政令指定都市です。少し郊外にあってバスを乗り継いで行かなくてはならない不便なところですが、この不便というのが大事なポイントです。世界遺産に登録され大仙陵古墳(仁徳天皇陵)の近くにあって、別名、百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらなかのみささぎ)。この耳原から病院の名前をいただいています。


創建当時の様子

創建当時の様子


昔は水道も通っていなかったので、沸騰させたやかんの水を診療につかっていたと聞いています。無医村の地域でした。貧困だったので、医者にかかれるのは、死亡診断書を書いてもらうときだけ。「病院を建てよう」と民家の中二階に住民らの100円のカンパで実費診療所をつくりました。1950年のことです。そのころは有志で集まった医師らが住民からお金のかわりに卵をいただいて診療していた。そんな成り立ちです。健康格差という言葉が昨今広まってきましたが、当院は創設以来いのちの格差と戦ってきた成り立ちがあります。


私が最初にかかわった2013年、こうした歴史を視覚化、顕在化するのがホスピタルアートの使命であり、アートディレクターとしての私の使命でした。約70年も前の話は、新人職員にはあまりピンとこなかったりします。歴史を可視化して表現することによって、職員に直感的に伝え継承することが可能です。また来院する患者さんやご家族にも雰囲気として伝わるでしょう。


世界医師会会長の演説より


いのちの格差、健康格差について書かれたものですが、不健康の原因として10項目あります。先ほど申し上げたように耳原総合病院は交通の便が悪いところにあります。「交通」という項目がしめすように、公共交通期間の整備は、人生を健やかに過ごすためのサービスへのアクセス、運動量、死亡事故、人との交流、に影響を及ぼすと実証されています。

世界医師会の会長が2015年の就任演説で健康格差をとりあげられましたが、創設以来その課題にとりくんできた当院も、改めて先人達の志を内外ともに浸透させてゆきたいと思っています。アートも装飾だけでなく病院の志に沿いながら、ディレクションをしていきます。


アートが公衆衛生のひとつに


(健康格差への処方箋)Mckinlay,J.(1979).A case for refocusing upstream:the political economy of health, In Patients, physicians and illness(ed.E.Jaco),pp.96-120. Basingstoke, Macmillan


厚生労働省のホームページに掲載されている近藤克則先生のスライドです。上流に病の原因があって、流れついたところで次々と救急搬送が行われる。これが現象の急性期総合病院です。患者さんを治して帰し、治して帰し、また治して帰す。世界医師会の会長は「患者を病気にさせた環境へどうして帰すのか」と著書で問われています。当院の医師も同じようなことをいっています。せっかく治したのに、またお酒を飲んでいる。またたばこを吸っている。救急でどんどん治しながらも、なんとか上流の環境をかえていきたいと、健康講座をしたりしています。未病の患者さんや、回復した患者さんと繋がる手段のひとつとしてアートもあるのです。アートが川にかかる「橋」になれるのかは分かりませんが、その「ボルト」ひとつにはなると考えています。


企画にあたってアートディレクターが考えなくてはいけないことのひとつが、ディレクションする病院がどんな役割を担っているかです。急性期総合病院だったら3日か4日で患者さんは帰られる、療養型だったら在院日数が長い。そのような条件によって、色の濃淡、見飽きない絵にする、シンプルな絵にする…など、技術的なことを考える必要があります。
どのような病院がアートディレクターを必要とするのかと、疑問をお持ちかと思います。耳原総合病院では私が関わる前から、奥村伸二病院長が「異文化交流カンファレンス」といって、医療とは異業種の様々なゲストを招いて講座を開いていました。アートが吸収されるような土台があっと思います。ごみの話から宇宙の話まで、いろんな話をしに来てくださる。医療とは関係のない話を聞いて頭をやわらかくしよう、という取り組みをすでにされていました。


病院が好きになりたいので、アートを


どのようにして、私が関わることになったのか。まず、病院の新築計画を知った2年目の看護師が病院長に直談判されたと聞きました。「先生、病院が新しくなるなら、ホスピタルアートをぜひ入れてほしいです。私は病院が好きになりたいんです」と。それで、まず院内職員から有志3名でプレゼンしたそうです。ホスピタルアートの事例を発表したりして、内部の人たちの賛同を得ました。そして、もう少し勉強しようとアートミーツケア学会に参加し、私の所属する「NPOアーツプロジェクト」のメンバーと出会ったという流れです。「なにをどうしたらいいのかわからないので、教えてください」という依頼から2013年に話にいったのが、当時NPOの代表だった森口ゆたかと私です。


2013年に病院で話したホスピタルアートの内容とワークショップ


いきなりアートにたくさんお金を使うことはできないので、まず腕試しをされました。医局に白い壁があったのですが、「この壁を使ってなにかやってみいや」と。それで低予算でやってみました。腕試しが何回か続いてやっと本契約になるのですが、はじめに私がしたのは、新病院をつくるにあたって「どんな病院をつくっていきたいか」を三原色の紙にメッセージとして書いてもらい、新しい病院のシルエットの中に貼っていくというものでした。


このようにみんながシートを貼っていって、どんな病院にしたいか考えました。「ワンピースを全巻そろえてほしい」とか、「カップラーメンの種類を増やしてほしい」、「洋式トイレがほしい」そんな要望もありました(笑)が。


病院の歴史と理念をつたえ、鼓舞する


次に見ていただくのは、病院が建った後で「おつかれさん会をするから、建設中のまとめ動画をつくって」と依頼されてつくった動画です。病院の歴史、理念、どのようにしてつくったかを伝えるためのものです。こうやって職員の労を振り返り、また鼓舞するのも、アートディレクターの仕事のひとつです。


動画より


1940年代 私たちは、みたかった
もう、爆弾が落ちてこない空の下
笑顔のある景色を。治っていく景色を。あんしん の、在る景色を。

1950年 私たちは決意した
この地につくることを。

2015年 65年のまなざしを
現代(いま)に向ける 未来に向ける

私たちの普遍の使命
無差別・平等 絶対にかなえる
歴史を大事に。新しい存在価値を。
私たちの新しい在り方を

患者さんの尊厳を守れる病院。
地域とつながる病院。
創る。

各地から こだました
海も超えて

もしも建物がカラダだったら
私たちは こころ
いまも、創りつづけています

個人のつぶやきからはじまり、アート委員会を経て実現


どんなアートがあるのか、ご紹介していこうと思います。
当院では2015年に「アート委員会」を発足させました。正式な委員会としてアートの名目が在る。これはもしかしたら、日本初かもしれません。ES向上、理念の顕在化、地域交流、業務改善。この4つのポリシーのもとで活動しています。そのうちの3つ「理念の顕在化」「地域交流」「業務改善」は私の所属するNPOアーツプロジェクトの代表、森 合音が就任より提唱しているものです。ESとはEmployee Satisfaction、「職員の満足度」で、病院長がとても注視しアートに期待しています。メンバーは医師・看護師・作業療法士・感染制御室・教学広報・管理事務、ボランティアコーディネーター・私アートディレクターです。

アートがどのように実行されているかというと、最初は職員の何気ないつぶやきからはじまります。
「〜だったら、いいのになぁ」などです。それを聞いて「本気ですかぁ?」と希望申請書を作成してもらいます。実はこれはかなりハードルが高く、本気でないとこの書類すら完成できません。部署で共有して議論しないといけないことになっています。ひとりの意見だけでアートが提案できず、「アートが必要!」とか、「いや、いらない」とか。部署の中でたくさん議論してもらいます。議論に加わった人数と、賛成・反対それぞれの人数を明記して申請書を出してもらいます。
それからアート委員会で審査をして、先ほどご紹介した4つのポリシーに該当するかをチェックします。その後、委員会でも推奨となればアート委員会の推薦として、その部署といっしょに企画書を作成。常務委員会にはかります。
常務委員会も通過すれば病院の方針として実行となりますし、なにか障害があれば差し戻しになります。差し戻す場合はアドバイスをつけるようにしています。
事前事後のアンケートもとり、制作の影響についても確認するようにしています。


迷ったときは理念に戻る


絵本のような冊子

絵本のような冊子


病院の理念にあてはまるかとチェックすると言いましたが、理念の顕在化のために、当院の理念を絵本風にまとめました。この病院の成り立ちを表しています。無医村だった、貧困だった時代のさまざまな苦労が雨というかたちで表現されていて、それが降って、芽がでて、鳥は住民なんですが、その鳥たちが芽を引き上げているという絵柄になっています。この病院の歴史を表しています。


この理念が大事です。アートはいろんな考え方があって、どうにでもつくれます。迷ったときには、必ず理念にもどって考えます。
たとえば、「無差別・平等の」と書いてあります。あとでもご紹介しますが、「風の伝言プロジェクト」というのがあります。患者さんが自分の部屋に選んだ絵を飾ることができるプロジェクトです。これは、四国こどもとおとなの医療センターで行っているプロジェクトを引き継いでいるプロジェクトですが、全て同じではなく、当院オリジナルのシステムもあります。理念に無差別・平等を掲げ、差額ベッド料を徴収していない当院は、アートもそれにならって個室、大部屋に関わらず、同じように絵を選んで飾ってもらえます。このように、アートも理念に沿って、歴史に沿ってつくっていきます。


壁画・昼

壁画・夜


先ほどの物語が壁画として描かれています。あとで中の絵も見ていただきますが、この外壁画が表紙になります。「わたしたちは夜も地域を守っているんです」という看護師さんの言葉をアートに翻訳し、オーナメント照明で夜道をあたたかく照らしています。


無駄に思えて合理的


ワークショップの様子


「外壁を絵本の表紙にみたて、中に物語を描いてはどうか」という安全管理を担う薬剤師のアイデアを採用しました。院内に描く絵は「何を描くか」を問うワークショップからはじめました。1回目は43名、2回目は86名とだんだん増えて行って、延べ300名ほど参加しました。
たとえば産婦人科だったら、「産む人も、産めない人も、がんが見つかる人も来る。コウノトリや動物がたくさん描かれているイメージではない」などの意見が出ました。地域の方々も加わって話し合いました。「あそこの保育園ではプールがなかったから、井戸の水くんで桶で水遊びしたんよ」「港に水上飛行場があったんよ」など、いろんな話が聞けました。よく病院長がぼやいていたのですが、「昔は在院日数が長かったから、患者さんが弱る前にいろんな話をして、その人のことを知ることができた。長いこといっしょにいられたから、患者さんが話せなくなっても適切な看護もできた。いまは話をする機会がどんどんなくなっている」と。ホスピタルアートって無駄なことのように思えて、実はとても合理的なことかもしれないと思っています。みんなで集まって、話してもらって、「あんた、こういうふうに思ってたんや」というのが露呈し、価値観の共有ができる。有意義な時間をすごせるのです。


14階の緩和ケアの壁画を描く

14階の緩和ケア病棟です。死を肯定的に捉える人からは「やっぱり極楽浄土やなあ」という意見もでましたが、「ご家族の気持ちを考えるとどうなんだろう」と議論に発展し、描くものは天の川に決着しました。


平和の象徴であるオリーブの枝

いろんな絵柄があるけれど、1本筋の通ったものがほしいとおっしゃる地域の方がおられた。当院では、戦争は健康の正反対にあると思っており戦争には大反対の組織です。なので、軸として鳥が平和の象徴であるオリーブの枝をくわえていて、緩和ケア病棟のフロアで次の世代にそれを渡しています。



アートによる院内の問題解決


配膳車にしかけたデザイン

配膳車にしかけたデザイン


業務改善の事例です。繰り返し配膳車を廊下の角にぶつけてしまう問題が起きたときに、解決策をアートに打診されました。そこで配膳車の側面に猫の絵を貼って、曲がる位置に猫の餌を描きました。猫に餌を与えるというその優しさで、曲がるタイミングを覚えてもらうという趣旨です。


風の伝言プロジェクト


四国こどもとおとなの医療センターと連携してはじめた、風の伝言プロジェクトです。みんなが見る場所のアートは、あまりきついものは描けないですね。公共のエリアには、やさしかったり、やわらかかったりするものしか置けない。風の伝言プロジェクトのいいところは、悲しいときに悲しいものを見たい人にも寄り添える。いろんな絵があります。


風の伝言プロジェクトの中の作品のひとつの猫

この猫ちゃんは、フォトライターの野寺夕子さんの作品。看護師さんたちには「夜怖いんじゃないか」などと心配されていました。でも意外と少なくない患者さんからとても愛されている。
少し悲しいエピソードもありました。とある患者さんに何点かの中から絵を選んでもらう時のことでした。この猫ちゃんを見て「マイケル!」と驚かれたんです。その方はそっくりの猫を飼っていたらしいのです。40代の女性で悪性リンパ腫のためにもうすぐ亡くなるという病状だったのですが、入院中に愛猫が亡くなり、「マイケルが私を迎えにきてくれた!」と、大のお気に入りで部屋に飾っておられました。最後、緩和ケア病棟に移るときもマイケルといっしょに、病棟引っ越しされました。


縦線の刺繍のある作品

「俺は海の男だ、水平線は横でないといけない。この絵ははずしてくれ」という人もいました(笑)。
それで海の絵を何枚かもってきて、その中から選んでもらいました。


患者さんと一緒につくりコミュニケーションを


手術室ホールの見守りの樹


職員さんが自分から手をあげて、「私たちのエリアが白い壁なのはいやだ」といって着手したものです。
ベースはスタッフがコンセプトをつくり、それをアーティストに伝えて描かれ完成したものです。壁画にするときには、スタッフも脚立に上って描きました。ここの職員たちはオペスタッフなので術前術後しか患者さんと触れ合っていませんでした。このプラスチック板は季節感を出そうとしたのですが、それを患者さんといっしょにつくってコミュニケーションをとる、というプロジェクトでした。


ES(職員の満足度)向上の取り組みについては、職員が自分の意思で表現することをすごく大事にしています。中にいる人たちが何を描いたら患者さんが喜ぶのか、何を描いたら職員たちが元気になるかを考える。職員の潜在的に思っているものを引き出すことを大事にしています。
建て替える前には病院の中にはアートはなかったんです。そのときは、ほとんどの職員は「なんでアートなんかいるの?」という感じだったのが、できあがった後は「なんでアートがないの?」に変わりました。


芸術を人生のお供に


アートディレクターの役割


アートディレクターの役割は、ベースはやさしい空間づくり。これは比較的短期間でできる。コミュニケーションを媒介するというのは、職場間であったり、患者さんとであったり、医療と介護だったり。これは少し時間がかかります。
そして、いま私が個人的に思っているのは、芸術という表現手段を健康のお供としていろんな人に推薦することです。しんどいときに歌を歌ってみたり、怒りを踊って解消したり。それぞれがひとつでも表現手段をもっていると、弱ったときに助けになると思うのです。私の好きな番組に「駅ピアノ」があるのですが、演奏者のインタビューではみなさん「辛いときにピアノを弾くんだ」「弾くことによってリセットされるのさ」とおっしゃっています。そのように芸術をひとつ、自分の人生のお供にすると強いのではないか。それを企業文化に、地域文化にしていきたい。職員がしんどいときに音楽を弾いてみる、職員がすると職員の友人家族に患者さんにも自然と影響する…そのように広がってゆくことで、病の工場、上流の環境改善のひとつになるのではと考えています。


アートディレクターの役割は病院によると思います。クリニックか療養型か、小児か高齢者か…。私の役割はアートを行き渡らせること。耳原総合病院は急性期総合病院なので、ここだけでアートをやっていても全体には行き渡らなくてそれがジレンマなのですが、当院では介護福祉の施設もあるので、法人としてアートをやっていけばもっと力になると思っています。

今現在、アートディレクターが当院には3名います。私がチーフ、ひとりはチェロ奏者で主に音楽を担当。もうひとりは正確にはアートディレクターに育てている最中で、ダンサーです。身体表現を担当しています。ディレクターとして専任でやっているのは私だけですが、院内の様々な業務に従事し、医療を学びつつアート表現のお手伝いを続けています。長く拙い話を聴いていただき、ありがとうございました。


質疑応答


Q. 海外では建築予算の数%をアートにあてる例などあるようですが、日本全体でホスピタルアートのムーブメントを広げるには?

室野
難題ですね。もともとアートの文化が北欧などはあったと思います。少しずつ理解を深めてもらうのが大事。職員さんの意見を拾ってつくっていくことではないでしょうか。
ホスピタルアートは一般的な解釈だと、外から来た人が勝手に絵を描くようなイメージだと思います。装飾として「明るくなったね」で終わりがちですが、そこで話をちゃんと引き出してそれを表現して描けば現場の人が理解してくださる。そうすると、「俺たちの気持ち、理念をこんなふうに表現してもらえたよ」と、口コミで広がっていくと思います。そういう実績を積み重ねることが大事かと。


Q. 最初にワークショップをしたりプロセス参加をしたりしたことをうかがったのですが、設計変更など、設計者泣かせになるようなことはありましたか?


室野
設計者を泣かせました、いっぱい(笑)。最初はけむたがられた。何度も怒られて委縮したこともありました。そのとき病院長が設計者に電話して、「いっしょにやったってくれ」と。担当の設計士さんは、「自分がつくった病院の中身ができあがっていくのはうれしい」と最後にはいってくださいました。

Q. 看護師をしています。感染対策が重要といわれましたが、立体的なものを入れると見た目はいいが、ほこりの問題があるかと思うのですが。

室野
ほこりのことはいつもいわれます。どうやってメンテナンスするのか、現場と地道な対話を重ねて実現しています。プラ板をつけるときも「どうやって消毒できるの?」と聞かれたり。でも意外と消毒できる素材は多く、許容範囲も広くて、職場の大きな協力あって、実現しています。

Q. ふだん、室野さんはどんな場所に詰めていて、日常的にどんな働き方をされているのでしょうか?

室野
アートディレクターがいる場所は、アートに影響します。私は品質管理部に所属していて、医療安全とか教学広報のあるエリアです。四国の病院の場合はボランティア室です。病院のどこにいるかで見えてくるものが違う。私の場合、病院の存在をどうやって周知していこうとか、法人としての介護福祉も含めた方針の話などが聞こえてくる部署にいます。週3回程度の勤務ですが、学会出張やアーティストとの打ち合わせ、制作もあって、あまり机にいないですね。

Q. 職員からの意見でつくられると聞いたのですが、患者さんからの意見で動くことはありますか? それとアートをつくりこんでいくのは、建てる前と後ではどちらのほうが多かったのでしょう?

室野
ESをベースにしています。患者さんに対応するのは職員なので、職員の満足度をあげることによって患者さんの満足度も上がると耳原総合病院では考えています。ただ、多種多様なワークショップに地域の方もたくさん参加してくださっています。患者さん、地域の方の声も反映されていると思います。
建てるときは必要なかったけれど、あとになってほしいという部署はけっこうあります。ER(緊急治療室)は、今年になって入れたいということでした。ERの先生は、「できて数年経って、地域における役割がみえてきた。表現したいものが見えてきたから、今だからいい」と。というように、具体的な要望は建ったあとが多いです。ICUや精神科もそうですし、リハビリ病棟では認知症の患者さんが見やすいカレンダーがほしいと、このスクリーンくらいのカレンダーをつくりました。

Q. アートの中に工芸は入ってくるのでしょうか? ひとつのお茶碗が心を癒したり、患者さんが変わることもあると思うのですが。日本人にとって身近なアートでは?

室野
いまのところはないですが、聞いていていいなと思いました。触わることができるアートはあります。病院長が「うちのアートはごった煮でいいんや」と。陶芸のシーサーがいたり。エントランスには触れる作品があります。私はこれから、茶香炉をたきたいと思っています。「病院が声をまとってもいいのでは?」と病院の雰囲気を音楽で表しましたが、においもまとってはどうかと。おじいちゃん、おばあちゃんの家にいったらお茶のにおいがしますね。家庭的なにおいだと思って。私の妄想ですが、ご質問から陶芸の茶香炉を思い浮かべました。


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