2020ヘルスケア・アートマネジメント連続講座 第3回 2020.7.22

みんなで描く病院とアートの未来

NPO 法人チア・アート 理事長
岩田 祐佳梨

もくじ


本記事は、2020年7月22日オンラインで開催された「2020ヘルスケア・アートマネジメント連続講座 第3回」のレポートです。

NPO 法人チア・アートを立ち上げて、代表をしている岩田です。私は2006年に筑波大学に入学し、建築を学びながら、大学の附属病院でアート活動に参画しました。2011年からは筑波メディカルセンター病院でアート・デザインコーディネーターとして活動してきました。そのまま大学院で、病院でのアートやデザインに関する研究をしながら学位を取ったのですが、同時に、この分野をいろんな人たちと共有しもっと普及させたいと、チア・アートというNPOを設立しました。


アートで医療や福祉を応援するNPO、チア・アート



チア・アートは、みんなで医療や福祉を応援しながらいろんな気づきを共有していこうと、こういう名前にしています。



応援できる3つのことを掲げていて、1つは家具や空間のデザインで環境を改善したり、患者さんや職員の方と一緒にワークショップや造形活動をして空間を彩ったりするものです。それから病院の作品展示や環境改善をアート・コーディネーターとしてマネジメントしています。
2つ目は療養環境を支援するようなツールなどの研究・開発、3つ目は私たちが研究や実践のなかで積み上げたものを、広げていくための研究会やワークショップの開催です。


芸術系大学が病院で取り組むアート


チア・アートの前身は、筑波大学の芸術分野と筑波大学附属病院、それから筑波メディカルセンター病院での二つの活動が母体になっています。



筑波大学附属病院と芸術分野との関係は2002年にさかのぼります。当時、ユニバーサルデザインを教えていた蓮見孝先生が授業で病院のデザインをテーマとして扱ったのがきっかけです。その頃は同じ大学といえども、病院と芸術分野の教員との関わりは薄く、見学も白衣を着て行なわなければいけませんでした。今は、多様な芸術分野の教員と学生たちが「病院のアートを育てる会議」を定期的に開催しながら、いろんな活動を行っていて、チア・アートのメンバーがマネジメントやコーディネートをしています。


人間性の種をアートで育む「アートステーションSOH」



初期の活動は、物置状態だった渡り廊下を病院のアート拠点にしようという活動でした。メインの通りでもなかったので誰もそこに近寄らなかったのですが、よく見るとガラス張りで開放的ないい環境だったので、白く塗ってピクチャーレールをつけて家具を置いた簡素な改修を行いました。名前をアートステーションSOH(ソウ)としたのは、ここをきっかけに人間性の種をアートで育めないかなという思いから、Seeds of Humanityの略から名づけました。



ここで実施した代表的なプロジェクトが「co-more-bi(コモレビ)ワークショップ」です。患者さんたちに2色のフェルトを重ねて葉っぱの形に切ってもらい、窓に吸盤で貼り付けていきます。自分の作った作品の隣に誰かの作った作品がつながって、大きな一つの植物を育てていこうというものです。一つひとつは取る足らない作品かもしれないのですが、それが集まると個性豊かで、本当に躍動感や生命感に溢れる空間になりました。
最初は怪訝そうに見ていた人たちも、だんだん集まるようになってきました。おしゃべりして帰る患者さんも来るし、中にはつらかったことを話し始める方もいたりして、多様なアクテビィティを許容する場が生まれたと思っています。同時に職員たちも参加しに来てくれました。そうすると、ここでは、患者さん対職員という関係から解き放たれて、空間を楽しむ一人の人間に戻れるような気がして、そういう場が病院の中にも必要なんじゃないかと感じました。


固有の物語を伝えることで、役割を超えたつながりを



その他に、患者さんたちを主人公にするプロジェクトもやってきました。この「くまの目新聞」は、学生チームがキュレーターとして、当時学生だった鈴木平人君がアーティストとして実施したものです。なぜか鈴木君がクマに扮した新聞記者になって取材をし、患者さんの背景や人となりを記事にして、病院の皆さんと共有していくものでした。



最近では、メディアアートの村上先生による写真技術を学ぶための授業において、職員の夢を学生がインタビューして、学生たちがその夢をコラージュで表現するというドリームポートレートシリーズが実施されました。例えばこれは、ある医師の将来なりたかった夢を描いたもので、右から2番目が現在の、その横が呉服屋を継ぐかもしれなかった自分ですね。その手前は野球選手になりたかった自分で、1番右は教員になりたかった自分と、いろんな自分の夢たちが同窓会をしている写真です。医師にも実はいろんな物語があるということを伝えることで、患者さんと医療者の距離を少しでも縮めようとした非常に面白い取り組みだと思っています。


導入プロセス1 批判から好意的な傍観に


では次に、アートやデザインがどのように病院に導入されていったかを、筑波メディカルセンター病院を事例にお話ししたいと思います。



ここで始まったプロジェクトの1つが、検査室前の長い廊下での取り組みです。患者さんは、検査室の扉と重い色のソファが並んでいる殺風景な場所で長時間待たなければいけないのですが、その環境を、当時のセンター長が何とかしたいと思ったのがきっかけです。
額縁に入った絵がたくさん飾られていて「アート」はあったのですけど、寄贈されたままホコリを被っていました。もっと病院が能動的に環境を変えていくために、まずは寄贈絵画を撤去させてもらって、生き生きとした空間を作るために学生らによるインスタレーションが開始されました。



ただ、初期は職員による批判も多かったと聞いています。当時は、広報担当の職員が活動の窓口をしていたんですが、落下しても危険でない素材であっても、作品の一部が落ちるとその職員にお叱りがくるという状況だったそうです。



しかし、展示を続けていくうちに職員の考えがだんだん変わってきました。特徴的だったのが、この「トリトリトリ」という展示で、病院の天井に浮遊感を出そうと、鳥を模した発泡スチロールの球体をたくさん天井から吊るしました。大変好評で、患者さんからたくさん投書や手紙が届き、職員にとっても印象に残る展示だったそうです。
患者さんの反応を受け、職員もこうした環境づくりは病院にとって必要なことなのだと気づいて、少しずつ批判から好意的な傍観に職員の眼差しが変わっていったと、窓口をしていた職員(※1)が述べています。

※1)長島明子:病院にうるおいを-職員の思いとアートをどうつなぐか, アートミーツケア学会 編:病院のアート―医療現場の再生と未来 アートミーツケア叢書1, アートミーツケア学会, pp.160-174, 2014.6


導入プロセス2 課題に対する協働



そして、プロジェクトの性質も、展示から実際に患者さんたちが使っているモノや環境を豊かにする方向へシフトしていきました。
代表的な事例が、この病院食の滑り止めマットです。以前、使っていたマットは、左上の画像のものです。職員が水枕に使うようなゴム素材で手作りしていたんです。機能性は良かったのですが、食事がおいしそうに見えないのが課題で、学生らと職員が一緒に検討を重ねて、ビタミンカラーで食事を彩りつつ、かつ配膳時に手間にならないようにと考えて、シリコン製の滑り止めマットを作りました。
このころから芸術とのコラボレーションが、課題に対し一緒に取り組むことで改善しようとする協働活動に変わってきました。


導入プロセス3 プロセスを開き一緒につくる「妄想ワークショップ」



こうしたコラボレーションが活発になってくるにつれて、改善したいという気持ちは同じなんですが、医療者と作り手は持っている言語や考え方のプロセスが異なっていますし、病院の複雑な機能や仕組みを作り手が理解するのが難しいので、広報担当の職員だけでは、両者をつなぐのが難しくなってきました。
もっと協働を促進させるためには、アートやデザインの知識や経験があり、作り手と医療者とつなぐことができる人が院内に必要ということで、私が2011年からその役割を担うことになりました。就任した私は、作っていくプロセスを開いて皆で一緒につくる参加型のスタイルを取りました。



この空間は「つつまれサロン」という名前ですが、もともとは家族控室でした。病院には、救急で運ばれてくる患者さんも多く、急激に状況が変わってしまった患者さんや家族もいるのですが、家族控え室は、そうした気持ちを受け止めるような環境になっていなかったという課題があり、家族控室としても積極的に使われていませんでした。



そこで、私たちがやったのが、皆で新しい使い方のアイデア出しをしようという「妄想ワークショップ」です。改善するにあたって、ただ綺麗にしてもしょうがないし、どんな空間にすればいいか私たち自身も分からなかったので、職員の皆さんに聞いちゃおうというものです。職員へ声をかけて、青天井でアイデアを出してもらって、それを建築の学生たちが即興でスケッチにしていくんです。自分の言ったことがそのまま絵になるので、職員さんたちもどんどん言ってくれ、約30名の職員の方から80枚くらいのアイデアが出てきました。



例えば囲炉裏があって医療者も患者さんも一緒に火を見たり談笑できる場所だとか、いろいろなアイデアが出てきました。「妄想」なので非現実的なことでもいいんです。そういう作り手側からは出てこないアイデアや思いをいかに引き出せるかが、非常に大事だと教えてもらいました。



そうして、医療者と患者さんが話すときの緊張感を和らげるような空間だとか、ちょっと逃げ込める場所があるといいんだということが分かり、元々あった扉を取り、廊下からの視線を遮るカーブをつけて、このような包まれるような部屋を作りました。



後日、この場所の利用調査やアンケートをしたところ(※2)、利用者が増えたのに加えて私が嬉しかったのが、使われ方が非常に豊かに多様になった点です。患者さんが面会時に利用したり、理学療法士が病棟でのリハビリテーションの途中に休憩や体操をする場所として利用したり、積極的に使ってくれています。言語聴覚士からは、訓練室では訓練をやりたがらない患者さんも、ここにきて一緒にベンチに座って外を見ながら話をしていくと、口を開いてくれることがあると聞きました。
職員が、ケアの道具として空間をとらえているのが非常に大事で、医療やケアの現場における空間の可能性を感じています。病院には、機能で使い方が決められた場所が多いですけれど、多様な感情を許容してくれる場所がもっと増えていくといいなと思っています。

※2)岩田祐佳梨,貝島桃代,花里俊廣:急性期病院の療養環境改善における共用空間の改修,筑波メディカルセンター病院における「つつまれサロン」を事例として, 日本建築学会技術報告集, Vol.22, No.50, pp.237-242, 2016.2


継続的な取り組みで関わる人を増やし、環境改善の文化を育てる


最後に職員の皆さんにインタビューしたところ、妄想ワークショップがとても面白かったという方が多くいらっしゃいました。一緒につくっていくプロセスに重要性を感じてもらえたことが、今後の展開に繋がっていったと思います。



このように色んな職員、職種の方を各現場で巻き込みながら、待合室やエントランスの改修などを実施してきました。改善に取り組んだ一つひとつは小さな空間ですけれども、継続していくことで、なるべくいろんな職員に関わってもらって、アートやデザインで環境改善をしていく文化を病院全体で育てていけたらと思っています。



ここでちょっと環境づくりについて整理をしたいと思います。
環境づくりには、2段階あると考えています。第1段階は、建築構造物で環境が作られる段階で、新棟の建設や増築、建替です。
第2段階は、建設後、職員や患者さんが使いながら作っていく段階です。例えば、備品や掲示物の設置や、日々の維持管理ですね。使っていくうちに想定とは違う使い方が出てきたり、医療技術の進歩や制度の変化によって、必要とされる空間も変わるので、既存の環境を見直して手を入れていくことになります。この時に必要なのが、固定概念を見直して現状を変えていこうとする改善や改革で、そこでアートやデザインが重要になってくると思っています。


病院と利用者、作り手とをつなぐマネジメント


続いてコーディネーターがどんなことをしているのかをお話します。現在、筑波大学附属病院でも筑波メディカルセンター病院でも、アート・コーディネート業務をチア・アートが担っていて、非常勤のアート・コーディネーターが院内で働いています。

プロジェクトを始めるときに、私たちはすぐに提案から始めずに、患者さんや職員がその空間をどう使っているのかを観察し、職員やボランティアの方にヒアリングを重ねて企画を練っていきます。本質的な課題を見極めずに、表層的に美しくしても、実状にそぐわないと使ってもらえないので、しっかりとリサーチをしています。
その上で、かたちにしていくんですけども、設計やデザインをしていく段階でも、自分たちだけで進めずに、模型を作って実際に職員の人たちに見てもらって、動線や安全性などの意見を出してもらっています。
学生やアーティストなどの作り手たちはデザインや作品を考え、私たちはそれを動かすためのマネジメントをやるという構図になっています。



上の図は院内でのコーディネーターの仕事を4象限に分けたもので、先ほどのプロジェクトのマネジメントの例は右下になります。これは、2年もの時間をかけて、なるべくたくさんの人と共有しながら進めていくことで、アートやデザインが職員にとってのアイデンティティや学びになることを目的としたものです。一方で、緊急性の高く早く進めるべきものもあります。最近では、新型コロナウイルス感染症の影響で、面会制限がかかって家族と患者さんが会えない時に、両者をつなぐツールがあったらという職員の思いを聞き、アーティストとの協働で企画から設置まで2週間の最速で実施したものもあります。もっと日常的な動きとしては、職員の話や患者さんの声をつぶさに拾って次なる改善の準備をすることや、院内の家具の買い替え時のアドバイスなど、病院の環境全体を見ています。



ただ病院でのアート・コーディネートは、私たちだけでは決してうまく回らなくて、病院の支援組織の職員が重要な役割を担ってくれており、施設整備や広報担当の職員にフォローしてもらいながら一緒に進めています。


病院でのアート・コーディネーターの3つの役割とその資金


病院でのアート・コーディネーターの役割


1)インタープリターになる
医療者と作り手の通訳者、医療と日常/院内と地域社会のつなぎ役
2)本質的な課題を探る
潜在的に眠る課題に光をあてる、つぶやきを集める
3)プロセスをデザインする
関わる人にとっての学びのデザイン、職員の改善意欲の刺激

コーディネーターの役割を大きく3つに整理をしてみました。1つめはインタープリターです。医療者と作り手をつなぐ翻訳をしていく、互いの言語を結びつけていくという役割と、医療と日常、院内と地域社会をつないでいくという役割です。2番目は、なかなか見えてこない潜在的で本質的な課題を探って、光を当てたり、職員の何気ないけど重要なつぶやきを拾い集めるということ。それから最後に、プロセスをデザインして、プロジェクトのなかで出会う学びもデザインすること。継続的に環境改善を実践する際に、病院職員のモチベーションがとっても大事で、なるべくプロセスを開いて、職員の想いや困りごとを言いやすい空気感をどうつくるかを考えて実践しています。



次に、アート・デザインプロジェクトの資金について。大きく4つあって、1つは病院の予算です。空間の改修など、確保されたアート・デザイン費だけでは難しい時は、通常の施設整備費等で補うこともあります。他には、研究やプロジェクト助成の獲得、企業からの協賛、クラウドファンディングなど、外部資金の調達もアート・コーディネーターの仕事だと思っています。今後は、病院を利用する人たちとか地域の人たちからも支援をいただけるような仕組みが大事だと思っていて、チア・アートは、みんなで補完しあっていける仕組みや存在になれたらと思っています。


病院でのアート・デザインの意義


これまでのことをまとめて、病院でアートやデザインをやる意義を3つにまとめてみました。

病院でのアート・デザインの意義


1)医療と生活をつなぐ行為
自分を取り戻す環境、日常との連続性のある環境をつくる
2)病院や医療・ケアのあり方を考える行為
固定概念や硬直した制度に揺さぶりをかける
3)想いをかたちにする行為
病院に関わる人たちの想いを体現化する


1つ目は医療と生活をつなぐ行為だということ。患者さんたちが自分を取り戻す、日常との連続性や社会とのつながりを感じられるような空間を作っていくことが最初にあげられるかと。それから病院自体が病院や医療・ケアのあり方について、固定概念や制度に揺さぶりをかけながら、皆で一緒に改善して行こうと促す行為だと思っています。3番目は、関わる人たちの想い、言葉にできないものを具現化していくこと。例えば職員たちのケアの想いをかたちにして、多くの人が利用する空間を通して共有していく。そういう媒体としての意義が大きいと感じています。


地域の共通資源として皆で病院を支える仕組みを


これからの展望を少しだけお話します。今まで病院には、医療者や病院職員、患者さんやご家族、製薬会社など医療に関係する人たちしか関わってこなかったと思うんですが、そこに1990年代になってボランティア活動が病院に普及してきたと言われていて、患者さんの目線で療養環境を豊かにする活動が少しずつ広まってきました。そして今、アーティストとかデザイナーのような作り手が参画しながら環境を作っていこうとする動きがあると思うんですけれども、今後はもっと地域のさまざまな立場の人たちが参画して地域の大切な共通資源としての病院環境や福祉施設を、皆で支えていくような仕組みがつくれないかと思っています。


対談・岩田 祐佳梨×鈴木賢一


鈴木先生:
ありがとうございました。実践的でとても分かりやすかったです。そもそも岩田さんが最初に「医療とアート」に興味を持たれたきっかけは何なのでしょうか。

岩田さん:
最初に学生チームの担当教員だった蓮見孝先生の著書に、デザイン分野は病院とか福祉の現場にはまだ未介入だという話が出てきて、確かに、デザインが入ってない分野、これはブルーオーシャンなのではという気持ちがありました。一方で、私は高校のときに怪我で2回入院したんですが、リハビリテーション室の環境の違いでモチベーションが変わるという体験したことも大きかったと思います。それと祖父が入院しがちでよくお見舞いに行っていて、病院に入院したことで、より患者になってしまう状況を目にして、変えたいと思ったことも影響していると思います。

鈴木先生:
なるほど、やっぱりそういう体験が活動のエネルギーになっているんですね。岩田さんがチア・アートというNPOを立ち上げた想いはどういうところにあったんですか。

岩田さん:
それまで大学と病院との関係だけだったので、私自身が大学を卒業すると関われなくなるということがあります。それは他の教員や学生も同じで、大学を離れてしまったら関わりが難しくなる。それってすごくもったいないことで、いろんな方が積み上げてきた関係性や蓄積を、もっと大学以外の人に関わってほしくて、NPOにしていろんな方たちとつなげ、私もつながっていたいということで立ち上げました。

鈴木先生:
学生さんが毎年チームに入ってくるときに、岩田さんみたいなコーディネーターがいるおかげで、医療の知識も何もないにもかかわらず、それこそ妄想で言ったことが実現したり、学生さんにとってはすごく刺激的な機会になっていると思います。

岩田さん:
そうですね、やっぱりコーディネートする立場の人がいないと、学生だけじゃなくアーティストやデザイナーも含め、どうすればいいのか、どこに話をつければいいのか分からないと思います。職員にとっても作り手はどんどん変わっていくなかで、ずっと知っている人がいて、その人に言えば何とかしてくれるという窓口、調整役がいるのは大事だと思っています。

鈴木先生:
経緯が分かる人がいるとすごく安心感があるし、継続するための大事な要素になっていますよね。ちょっと話題変えますけど、今日聞いていて面白いと思ったのが、病院の名前の付いてないような空間をうまく利用して、ゆるい空間づくりをしていく活動です。あのやり方は病院建築の設計にはないのですが、すごく有効だなあって思って聞いていました。

岩田さん:
やっぱり病院は機能的な部屋が中心になりますけど、ちょっとした余白に実は豊かな空間があると思うんです。そこをうまく掘り起こしてあげると、未活用だった空間が生き生きとしてくるし、そこに面白さがあると思っています。

鈴木先生:
病院の中だとやっぱり医療のための部屋がびっしり並んでいて、僕もそういう空間にアートを取り込むことで少し和らげたいという思いがあるんですけれど、一方で先ほど岩田さんがやってたような、全く医療と関係ないスペースをエアポケットのように作ってあげて、そこへ行ったら医療の話はしなくていいというのはすごく素敵だと思いました。

岩田さん:
そうですね。病院内に、ものづくりができたり、少し気分転換になるような場所があると非常に面白いですね。それと医療的な行為をする空間と家やまちとの間にワンクッション、つなぐ場所ができるいいなと思います。前にある患者さんから聞いたのは、病気の診断で頭が真っ白になっている時でも家に戻ると親として振る舞わなければいけない。でも病院にいるとどう気持ちを切り替えていいのかわからないと。そういう気持ちを切り替えるような空間ができるといいですね。


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