第6回 ヘルスケアマネジメント講座 2018.8.8

美術館における学芸員のアートマネージメント

名古屋市美術館 副館長
深谷 克典

もくじ

今日は、学芸員は美術館の中でどんなことをして、どんなことを考えているかということをお話しさせていただきます。


建築家・黒川紀章氏による「建物」を鑑賞する仕掛け


これは美術館の建物です。美術館は中に入って、作品が並んでいて体験していただく、鑑賞していただくことが勝負になりますが、建物も美術品の一部です。設計をされたのは、名古屋出身の世界的建築家、黒川紀章さんです。埼玉県立近代美術館に次いで設計された二つめの美術館です。

まず、建物を鑑賞するところから始めてくださいとお話ししています。どこがいったい美術なのか。エントランスは、建物の躯体、柱があるだけですが、我々はここをグリットと呼んでいます。たいていのお客様は地下鉄伏見駅で降りて、白川公園を横切って入って行くわけですが、このグリッドの部分は完全な公園でもない、美術館の建物の中でもない。黒川さんはそこを中間領域と呼びました。公園という自然の中から美術館という非常に人工的な空間に入って行く心構えをしていただく空間だと、黒川さんはコンセプトを説明していらっしゃいます。ほかにも名古屋市美術館にはいろいろな仕掛けがあります。

今でも初めてこの美術館を訪れる方は、いろんなところで驚かれたり、新鮮な感覚をお持ちになったりします。まずは建物に興味を持っていただき、そこから美術品、美術的な感覚に接していただくという点では成功していると思います。
ここはサンクンガーデンと呼んでいます。サンクンは沈み込んでいるという意味ですが、1階の部分から地階に向かって斜めに掘り進められている形の庭がつくられています。


なぜこういうことをしたのか。この建物は地下1階地上2階の構造ですが、本当は美術館は平面の方がいい。車椅子の方、ご老人もいらっしゃるので、水平方向だけで館内を移動して作品を見ていただけるのが当然いいわけです。一方で、公園の中ではこれだけの建物を建てていいという建蔽率の決まりがあり、最初から面積の規制がありました。その中で、コレクションを並べる常設展や企画展の部屋が必要ということから平屋では無理で、地下1階地上2階の3層構造の建物にならざるを得ませんでした。非常に限られた面積の中で、どうやっていろんな機能を持った美術館をつくるかということで、黒川さんは頭を悩まされて、こういう設計になったわけです。地下は閉鎖的な暗い空間になってしまいがちですが、少しでも和らげるためにサンクンガーデンがつくられ、それによって地下が非常に開放的になりました。北側にガラス張りの壁をつくったことも大きいと思います。

気づかれないかもしれませんが、入口に鳥居の形をしたものが隠されています。こういう仕掛けが美術館の至る所にあります。裏庭、建物の内部にもあります。

黒川さんはよく「歴史と現在と未来の共生」という言い方をしました。共に生きる、共生の思想です。中間領域という話をしましたが、内と外の共生、あるいは過去と未来の共生。いろんなものが一緒になるという中で、いろんな物語性が建物の中に込められることによって、単なる展示空間ではないということです。

黒川さんの設計を一言で言うと、ポストモダン。モダン建築とは何か。名古屋市内の至る所にある直方体のビル、機能性を追求していかに限られた面積の中で有効に空間を利用するかという、無味無臭な建物。そういうものとは逆で、建物の中にいろんな物語性を導入することによって、単なる実用性を追求するだけではなくて、建物に入ってきた人がいろんな解釈、いろんなものを引き出す空間にしたい。それがポストモダンの考え方です。


時代を映す美術館


名古屋市美術館の歴史を簡単に説明します。昭和58年8月に美術館基本設計を黒川紀章建築・都市設計事務所に委託、同年10月に美術館資料収集審査委員会を設置し、資料の収集を開始しています。オープンするのが昭和63年ですから、オープンの5年前から資料収集を始めたということです。そこでようやく何を集めるのか、どういうものをお客様にお見せするのかという方針を立て始めました。それ以前、昭和56年度に、当時の市長さんは本山政雄さんという革新市政の市長さんでしたが、美術館の建設を発表して、2年経って収集委員会が設置されました。1988年にオープンして、今年2018年が開館30周年です。

日本の美術館の歴史に触れます。登録美術館の数についてですが、1978年の段階で135館でしたが、15年後の1993年には281館、倍以上になっています。いわゆる美術館の建設ラッシュの時代。70年代後半から90年代初めですが、バブル経済の時期でした。好景気に沸く日本経済の状況の中で、美術館はひとつの政治的なシンボルとして、この15年間に次々と建てられていきました。名古屋市美術館はその真っ最中に建築されました。

次に美術館予算の推移についてですが、開館当初の運営予算は年によって違いますが、年間5~6億円ぐらい、美術館の職員の人件費は入っていません。今の予算はだいたい半分ぐらいの2億5千万円前後。収集予算の推移では、開館当初は毎年2億円ありました。収集を始めると決めた時点では美術館に作品は一点もありませんでした。ゼロからスタートして、開館のときに何点作品があったのか。850点です。収集するためにいくら予算を使ったのか。24億円です。全部買ったのではなくて、寄贈していただいたり、名古屋市の市民会館や市役所など施設の中にあった美術品を美術館に管理を移管したものもありました。

毎年2億円あった購入予算が削られていき、平成19年度以降は約300万円です。300万円の年もあれば0の年もありました。十数年間にわたってほとんど作品を買っていないに等しい状態が続いています。地元の作家の作品や素描、写真、版画など比較的廉価なものを収集しています。


作品を次の世代に引き継ぐために―美術館と学芸員の役割


美術館は主にどういう活動をしているのかについてお話しします。大きく4つに分類することができます。

1. 収集・保存
2. 展示・公開
3. 調査・研究
4. 教育・普及

この中で、学芸員は何をするのか。何のために存在しているのか。それは作品と鑑賞者との仲介者であるということです。いかにして作品の持っているさまざまな魅力、あるいはそこに込められている情報を美術館に来ていただいた方にわかりやすくお伝えするかというのが、学芸員の役割だと思っています。

前述の4つの中で一番重要なのは何かと問われたら、1.収集・保存だと考えています。作品を集めて、次の世代に引き継いでいく。これが最も基本的な役割ではないかと思っています。2、3、4は、あくまでも1があってようやく意味をなす、極端に言えば収集・保存さえできれば、他の活動を一切しなくても美術館、あるいは博物館足り得ると、私は思っています。

名古屋市美術館にはこの4つの収集方針があります。この写真の4作品は、

1. 郷土の美術
2. エコール・ド・パリ
3. メキシコ・ルネサンス
4. 現代の美術

です。
この写真の4作品が、各収集方針の代表作です。まず名古屋に縁のある作家の作品を集めましょう、地元の作家を市民に紹介しましょうということから始まりましたが、地方美術館とは言っても、人口が200万人を超える日本有数の大都会ですから、単に地元だけではなくて、世界に目を広げていかなければいけないだろうということで、上記の1.郷土の美術、そこから関連するテーマとして、2、3、4という3つのテーマを設定しました。それぞれ4500点、500点、500点、600点の作品点数ですが、平成30年3月末、開館して30年経った時点で全部で6100点ほどの作品が収集されています。オープンした段階では850点でしたが、30年経って6000点余りで、170~80点の作品が毎年収集されていたことになります。

収集にあたって学芸員は何をやっているのか。まず作品を探します。例えば郷土の美術の中で、今どんな作家の作品がコレクションの中で欠けているのか。博物館でも美術品を収集していますが、博物館と美術館のすみわけは、若干オーバーラップしていますが、明治を境に、明治以降の作品は美術館、それ以前は博物館です。明治以降の例えば郷土の美術史の中で、どの時代、どの作家が我々のコレクションで欠けているのかを調べて、今後こういうものが加わっていけば、明治から現代にかけてのつながりを紹介できる、次の世代につなげていくことができるということを考えて、作家、作品を挙げていくわけです。

候補作品を挙げたら、その作家に関連する過去の文献等をたくさん調べて、現在入手可能なものはどこにあるかを調べたら、その持ち主のところへ交渉、調査に行きます。画商、画廊が持っている場合もあります。そこへ行って情報を集めたり作品を見せていただくという仕事を積み重ねて、作品を絞り込む。毎年購入予算がありますので、委員会のような会議にかけて、了解を得て収集をするという段取りをしています。作家ご本人あるいはご遺族から寄贈のお申し出もありますから、郷土の美術、地元の作家のものが圧倒的に増えてまいります。


作品の適切な保管


これは一般の方が目にすることのない地下の収蔵庫です。今6千数百点ありますが、コレクションを紹介しているのが地下の常設展示室で、約1000㎡の大きさです。1回に紹介できる作品はだいたい百点前後、もちろん展示替えを行います。年に3回ぐらい大きな展示替え、小さな展示替えは年に6回ぐらい。年にご紹介できるのは数百点ぐらいで、残りの6000点ぐらいは収蔵庫にあります。当館の3つの収蔵庫のうち、一番大きな収蔵庫がこれです。美術館の心臓部というのは実はこの収蔵庫という場所です。

地下の収蔵庫は、温度湿度が完全に一定の状態に保たれています。美術品は必ず劣化します。特に紙の作品、紙に水彩で描いたもの、あるいは写真、素描、洋画と日本画―油絵で描かれたものと日本画の顔料で描かれたものを比較すると、圧倒的に日本画の方が脆弱です。

私も親に付き添って病院に行くことがありますが、フロアに版画やポスター、油絵がかかっているのを見ますが、年中同じ場所にかけておくと必ず劣化します。色が褪せていきます。美術館の照明は100%紫外線カットのものですが、病院の蛍光灯は紫外線がカットされていないので、作品を劣化させます。

ここでは収蔵庫から作品を取り出すときだけ電気をつけて、出し入れをします。中には美術館に収集された時点で劣化しているものもあります。個人宅から寄贈されたものは、保管状態がよくないためほとんどが劣化しています。少しの振動で亀裂が入ったり、剥落します。そのため美術館には修復室があります。学芸員は修復の技術を持っていませんので、外部から専門家をお招きしています。


作品展示の工夫、展示位置


美術館の活動の2番目が展示・公開について。これは2階の企画展示室です。学芸員は作品を展示する際、まず最初に考えるのが高さです。この作品の中心線が通常は床から150cmになるように展示をしています。一般的な成人の視線、男性と女性、身長によって違いますが、まっすぐ作品を見ることができる高さとして150cmを目安にして壁にかけています。展示する作品、展覧会の内容によって高さは変わります。子ども向けの展示がありますが、例えば絵本の原画の展覧会では、140㎝、もっと下げる場合もあります。


これは今から7年前の2011年にゴッホ展を開催したときの展示風景です。ずいぶん作品が高い位置にかけてあります。「アルルの寝室」という有名な作品ですが、床から180cm、通常の展示よりも30cm高い位置にこの絵をかけました。なぜか。ゴッホは人気の高い作家ですから、大勢の来館者があるからです。人の肩越し、頭越しに後ろの方から作品を見ていただく状態も発生するかもしれない。他の作品は160cmぐらいでしたが、お客さんの関心が集中するであろう作品は高い位置にかけました。それがいいのか悪いのかいろんな考え方があると思います。入場制限や時間制限をしてゆったり鑑賞していただく方法もあるかもしれません。


学芸員人生で一番記憶に残る「モディリアーニ展」


3番目が調査・研究です。作品がどんなところにあるのか、どんな意味を持っているのか、作家の中でどんな位置づけになるのか。学芸員はさまざまな視点から調査・研究をしますが、その成果を展覧会のカタログに反映させます。今から10年前、名古屋市美術館開館20周年の特別展でモディリアーニの展覧会を開催しました。当館ではモディリアーニの代表作「おさげ髪の少女」を持っていますが、それを核とした展覧会です。

私が担当した中でこの展覧会が一番たいへんでした。作品を集めるのに非常に苦労しました。モディリアーニは38歳ぐらいで亡くなりましたので、残っている作品はものすごく少ない。おそらく300点ぐらいではないかと言われています。モネの展覧会を開催しましたが、彼は86歳まで生き総点数が2000点ぐらい。普通の展覧会はだいたい100点ぐらい集めます。生涯描いた作品の中から三分の一を集めなければいけないわけです。ピカソは数万点描いたと言われ、日本国内でも100点、200点あると思いますが、そういう作家であれば作品を集めることはある程度可能です。300点しかない作品を50点でも集めることはきわめてたいへんです。日本にあるモディリアーニの作品はおそらく10数点です。ですから海外からお借りしてこなくてはいけない。加えて展覧会がバッティングすることがあります。当館とほとんど同じ時期に東京の国立新美術館でも準備をしているという情報が入ってきました。さらにヨーロッパでもモディリアーニの展覧会を準備しているらしいという話が伝わってきました。同じ時期に3つの展覧会をやるなんて狂気の沙汰と言えますが、なにしろ準備が始まってしまいました。開館20周年の展覧会で、モディリアーニは当館にとってきわめて重要な作家です。展覧会を始める2カ月ぐらい前までずっと出品交渉をして作品を集めました。

モディリアーニは作品点数が少ないだけではなく、贋作が多いという問題もあります。アーモンド型で瞳がない目、玉子型の輪郭、首が長いなど特徴がはっきりしていて、構図もシンプルです。非常に真似がしやすいので、贋作がそこらじゅうにあるわけです。その中でいかに本物の作品、クオリティの高い作品を探し出して、なおかつ持ち主と粘り強く出品交渉をしなければいけないわけです。

簡単に贋作と申し上げました。「なんでも鑑定団」という人気番組がありますが、なぜ鑑定団の方はわかるのか。たくさん見ているからです。特に優れた作品をたくさん見ている。新しいものを見た瞬間に、頭の中に蓄積されたデータベースと瞬時に比較をして判断していると思います。我々も同じような仕事を日常の中でしていますが、これは経験でしかないわけです。いかに優れたものをたくさん見ていくかということによってしか、見分ける力というと傲慢かもしれませんが、見極めというのはそれでしかつけることはできません。

美術品は自分に訴えかけるものがあればいいじゃないかとおっしゃる方もいます。それもひとつの考え方かもしれませんが、例えば500円、5千円、5万円のワインはいったいどこが違うのか。その差をどうやって見極めていくか。上にいけばいくほど微妙な差になると思いますが、そこを見極める努力をする、感じ分ける、そのことが人間のものの見方や考え方を一歩ずつ上に上げていくということではないかと思います。美術に限りませんが、どんなものでもさらに上のもの、優れたものを求めていく、それを常に意識しながらものを見ていく、受容していくことが、最終的には真贋の見分けではありませんが、そういうことにつながっていくのではないかと思います。


美術館の魅力を子どもたちに伝えるために


美術館の活動の4番目が教育・普及です。学芸員だけがその役割をしているわけではなく、ボランティアという組織もあります。最近はどこの美術館でもボランティアが活動しています。当館の場合は、作品をいかに一般の鑑賞者の方に伝えるかという役割の一翼を担っていただいています。


学校から団体やグループで見学に来たときに、10人以内のグループに分けますが、どうしたらよりその作品に近づいていけるのかという見方を一緒に楽しむ、ボランティアの方はそういう役割をしています。これは出前授業の様子ですが、ゲームをしています。そこで使っているのがアートカードという鑑賞学習活動用の教材で、表に作品の図版、裏には作品に関するデータが載っています。ゲームをするような感覚で、楽しみながらいつのまにか美術に親しんでいただくための教材です。


名古屋市美術館は以前から小中学生の観覧料は無料です。義務教育の子どもたちには優れた美術作品に少しでも親しんでいただきたいということです。一番来館されないのが高校生ですが、2018年7月~9月に開催した「ビュールレ・コレクション」では高校生を平日無料にしたところ、夏休み期間中ということもあり、多くの学生が見に来てくれました。これはとてもいい機会だと思っておりまして、とにかく足を運んでいただいて、美術館がどんな場所かというのを一度でも体験していただきたい。いまだに美術館は敷居が高い、なんとなくお高くとまっている印象があると言われることがあります。一度来ていただければ、そんなに敷居が高いところではないということがわかっていただけると思います。


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