SYMPOSIUM シンポジウム

森口ゆたか先生「療養環境におけるアートの役割と可能性」


スピーカー紹介


森口ゆたか先生


美術家、近畿大学文芸学部文化デザイン学科教授、NPO法人アーツプロジェクト 副理事長

美術制作のかたわら、イギリス滞在中にホスピタルアートと出会い、医療現場でのアートの可能性を探る活動を始める。2004年にNPO法人アーツプロジェクトを設立。これまでに関西を中心とする30カ所以上の病院で、ホスピタルアートの企画、運営、実施に携わる。


現代アートから“Arts for Health”へ


私は今、大学の教員をしておりますが、そもそもはアーティストで、現代美術の作家をしていました。父親も彫刻家だったものですから、子どものころから遊び場も画廊などアートの環境で育ってきて、なんの疑問もなく芸大を卒業して、親に反対されることもなくアーティストにすんなりなった人間でした。

あまりにも疑問なくアートをやってきて、しかも非常に狭く限られた世界で、個展をしても来てくださるのは熱狂的な現代美術のファンの方々。そういう特殊な世界で生きてきて、40代半ばぐらいで、このまま閉じられた空間の中で一部の人たちとアートの世界に生きて行くのかな、これで本当にいいのだろうか、という疑問が頭をもたげはじめたころに、たまたま夫のイギリス留学についていくことになりました。

マンチェスターという都市で2年間無駄に過ごさないためには大学に行って授業でも聴講しようと、インターネットで何が勉強できるかを軽い気持ちで調べましたところ、「Arts for Health」という授業があったのです。当時、20年前の話になります。アートセラピーという言葉は私も知っていましたが、Arts for Health-健康のための芸術とはいったい何だろうと、マンチェスターに着いてすぐ、その授業を開講しているManchester Metropolitan Universityに足を運びました。

守衛さんの案内通りの場所を訪ねると、広い大学構内に平屋建てのビルがありました。そこがArts for Healthのオフィスで、秘書の方に「日本から来たばかりですが、Arts for Healthという授業を受けたくて…」と伝えましたら「今日はたまたま代表がいるのでご紹介します」と。私は授業の登録に来ただけのつもりだったのですが、わけの分からないまま座っていましたら、部屋の奥から60代ぐらいの白人の男性が満面の笑顔で出てこられました。その方が世界における療養環境のアートの第一人者、ピーター・シニアだったのです。ウェルカムとものすごく歓迎してくださったのですが、それには実は魂胆がありました(笑)。1998年のことだったのですが、1999年にArts for Healthが主催となって、療養環境のアートの世界的なシンポジウムを計画されていたんですね。話を聞きますと、来年のシンポジウムでは世界中から人が集まるのだけれど、日本にはまだ案内していないと。あなたは日本人として初めてこの分野に興味を持ってくれたので、ぜひ日本からも発表者を呼んできてほしいと言われました。

私は日本人特有の愛想笑いではいはいっと返事をして家に帰ったんです。そして夫に、そのできごとを話していましたら電話がかかってきました。すると相手の方は日本人で「Arts for Healthの森口さんですか?」っておっしゃったんです。この話を知っているのは、秘書の方とピーター・シニアと私と夫だけのはずなのに、どうして地球の反対側の日本の方が知っているのだろう!? と、もう足がガタガタとふるえました。彼は東京でパブリックアート研究所を主宰している杉村荘吉氏という方でした。ロンドンに遊びにいくことになり、そこでどんな公共アートが見られるか調べたところ、ロンドンのチェルシー アンド ウェストミンスターホスピタルという美術館のような病院があると聞いた。そこのアートは全部「Arts for Health」という団体がやっていると分かり、即Arts for Healthに電話をしたところ、「うちには日本人スタッフがいます」と私の電話番号を聞いて、電話がかかってきたということで、それがなんと1日の2時間ぐらいの話なんです。


「アートやデザインの力で療養環境は変えられる」


ピーター・シニアは長年のホスピタルアートの貢献により、チャールズ皇太子からも賞をいただくような立派な方なんですけども、そのArts for Healthのはからいでいつの間にか私はArts for Healthのスタッフになり、翌年、CHARTS’99という療養環境におけるアートの世界的なシンポジウムのコーディネーターになってしまいました。そのことを杉村さんにお話したところ、「森口さん、心配ないですよ」と言ってくださったんです。「僕は以前、広告代理店に勤めていて、厚生労働省の方とか病院を設計した建築家、病院の経営者などをよく知ってますので、僕が日本から使節団をまとめて来年のCHARTS’99に行きますよ」と。その言葉通り、笹川平和財団からちゃんと助成金を得て、厚生労働省や病院経営者の方、笑いと医療について研究をされていました高柳和江先生など、そうそうたる面々を10名連れてきてくださいました。

私は当時39歳で、イギリスで妊娠し身重になりながら、Arts for Healthとパブリックアート研究所とを取り持つようなコーディネーター役を務めさせていただきました。そして1999年に日本ふくめ世界28カ国560名以上の方々がManchester Metropolitan Universityに集まったんです。参加者は医師や看護師のような医療関係者の方、福祉系の方、アーティスト、建築家、デザイナーというさまざまな職種の、文化も言葉も目の色も違う人たちでしたが、でもただ1点、共通点がありました。それが「アートやデザインの力で療養環境は変えられる」と皆さん信じておられるということ。そして毎日1時間目から6時間目まで授業があり、ある部屋では日本の事例報告、隣ではオランダの事例報告と、各国の情報を交換するという4日間でした。


日本でホスピタルアートのNPOを設立


20年前のことになりますが、その後、私と日本から参加した10名の方々は、こんなすばらしいことが世界で行われていて、でも日本の人たちはまだ知らない、それならば私たちが広めなくてはとなったんですね。それで日本に帰国し、2000年から関西を中心に活動を始め、2004年にNPO法人アーツプロジェクトを立ち上げました。最初は、尼崎市にある関西労災病院の院長先生が私たちの話を熱心に聴いてくださり、初めてのお仕事を頂いたのですが、ホスピタルアートは明るい話題ですので、すぐ新聞やテレビ、ラジオが取り上げてくださいました。それを見た医療関係者の方が、ぜひうちの病院でもと広がって、国公立の総合病院からもお声がけいただくようになり、小児科をはじめとする療養環境の改善に携わらせていただいています。
うちのNPOは3人で始まり、今は正会員が20名ちょっとです。でも、ボランティア会員が100名以上です。なぜかというと、芸大美大を卒業したものすごく画力のある人たちが普段は全然違う仕事をしていて、そういう人たちが自分たちの力を入院している子どもたちのために生かせると、ボランティア会員になってくれるんです。おかげでうちのNPOもいろいろと活動させていただいているというのが現状ですし、もちろんアーティストにお願いすることもあります。

うちのNPOは、最初からまったく無償で活動したことはありません。スタートしたときから、アーティストはアートを提供してお金を得るということは徹底しています。よくNPOというと無償で絵を描いてくれると思われるんですが、絶対それはしませんでした。大阪の商売人魂といいますか。絶対タダでは動かないぞ、と。

病院から依頼を受けて、では小児科の待合室にはこうしたアートにして、この部分はプロのアーティストに、この部分は学生にお願いしましょうと、いろんなことを計画し企画書をつくって提案して、病院側とお金の交渉をします。交渉をして折り合わないときはやめさせていただいて。そこはやっぱりちゃんと契約を交わして、ビジネスライクでやってきました。今となってみればそれがよくて、タダで動いていたら、もううちのNPOはなかったかもしれません。


アートと医療の共通点


さて。次に「療養環境におけるアートの役割と可能性」という話をさせていただきます。
そもそもアートとは何でしょうか。アートというと日本ではちょっと敷居が高いような、絵画とか彫刻とかだと信じられていますが、そもそもアートの語源は、ラテン語のアルス、ギリシャ語ではテクネといって、人間の技とか技術の意味になります。つまりアートとは、単に絵画や彫刻や音楽等を指す言葉ではないんです。実は、人間の生きる技術のことをアートと言うんです。

一方で、ウィリアム・オスラーという医学者が「医学はScience(科学)に基礎を置くアート(技)である」とおっしゃっています。この時のアートは先ほど言いましたように技ということですね、生きる技。医学とは科学に基礎を置く人間の技だと。
そもそも西洋のアートの原点は教会にあるんですね。教会のステンドグラスとかマリア像とか、そういうものが彫刻や絵画に発展していきました。日本でも同じですね。お寺の宗教彫刻、仏像が近代化の流れに従って、芸術のフィールドに移り宗教から切り離されたわけです。

さて、西洋アートの原点である教会には、ステンドグラスやマリア像などのアートの他に何があったでしょうか。実は、医学です。医療も教会にあったんです。傷ついた兵士や病気になった人たちを、病院ができる以前は教会で手当てをしていました。それが病院の原点です。つまり教会には西洋美術の原点があり、病院の起源なんです。もともと医療とアートは教会という同じ場所にありました。だから西洋の人たちにとって、病院にアートがあるのは当たり前の話なんです。一見何の関係もなそうに今は見えている「医療」や「デザイン」には、実は深いつながりがあったのですね。もともと同じ場所からスタートしているのですから。


モノからコトへ、デザインの対象は社会


近畿大学に文化デザイン学科が3年前にできました。ここは文化芸術の力を社会につなげていく人を育てようという目的を持っています。アートを作る側ばかりでなく、その文化芸術の力を社会につなげていく人を育てていこうとしてできた学科です。

では、文化をデザインするとはどういうことなのでしょうか。そもそもデザインとは、計画を記号に表すという意味のラテン語が由来です。日本では図案とか意匠などと訳されて、単に表面を飾り立て美しくする行為と理解される傾向がありました。しかし最近ではもとの意味に近づいてきているといいましょうか、モノのデザインではなくてコトのデザインに変わりつつありますね。デザインには、グラフィックやファッション、空間などさまざまな対象がありますが、そもそもモノを飾り立てることではなく、その対象は社会だったんです。モノをデザインするのは新しい社会を生み出すためなんですね。

例えば無印良品には、白と茶色とグレーのタオルがありますが、それらはシンプルで触り心地が良い方を選ぶ人たちに使ってもらおうとして作られています。かつてのようにタオルに錦糸銀糸、花柄などで豪華さを求める時代ではないと。それよりもシンプルで機能的で適正な価格を、という価値観でブランドができていて、そこから組み合わせ可能な家具などが出てくるのですね。だからデザインの対象は社会なんです。



英国におけるアートによる民主化の流れ


ひるがえってホスピタルアートについてですが、医療現場におけるアート活動が動きだしたのは1970年代の英国においてです。このころに先ほどご紹介しましたピーター・シニアたちが活動を始めています。1960年代のイギリスに「文化における民主化」という政策がありました。イギリスでもアートはもともとブルジョワジーが享受していたものでしたが、そうではなく一般の人たちも享受できるアート、もっと言えば病院にいる患者さんたちにもアートが提供されなければいけないと。つまり社会包摂とか、アートによる民主化の流れですね。1960年代70年代のそのイギリスにおける政策によってホスピタルアートが生まれてきました。そして1970年代から80年代半ばにアート作品によって病院の療養環境を改善しようとする動きが本格化してきます。さまざまな団体が活動を始め、世界的に関心が深まり、多くの活動団体が誕生します。

イギリスにおいて今はあまりホスピタルアートと言わず、アーツフォーヘルスとかアーツインヘルスケアとか、さまざまな呼び方があります。と言うのも、イギリスにも団体がたくさんあり、団体ごとに考え方が違うんですね。病院でも画廊や美術館で見られるような優れたプロのアートでないとダメだという団体があると思えば、病院におけるアートは患者や家族によるアートこそが貴重なのだという団体もあり、それぞれ団体によって考え方も呼び名も違います。

それらを日本でどのように伝えようかと思った時に、ホスピタルもアートも日本人に親しみ深い言葉だからホスピタルアートって呼ぼうとうちのNPOが決めて、活動を開始しました。すると日本でもホスピタルアートという言葉が非常に広まって、多くの方に使っていただいています。

先ほどご紹介しましたように1999年にはArts for Healthが主催して「アートと医療における国際シンポジウムCHARTS’99」が開催され、世界28カ国から参加者が集い、議論が交わされました。イギリスでの経験を踏まえて、私や仲間がNPO法人アーツプロジェクトを2004年に発足させます。


広がるホスピタルアートの活動


ホスピタルアートの変遷


このホスピタルアートの変遷という表は、大阪市立大学の山口悦子先生がまとめてくださいました。1970年代80年代の活動目的は、「病院を美しくする、過ごしやすい療養環境を作る、心理療法」となっていますが、現在はそれにとどまらず、「働きやすく安全な職場環境を作る、表現によって人間性を回復する」、それから「診療アウトカムを改善する、被雇用者満足度の向上と離職防止」などもあります。現にイギリスの病院では看護師さんの離職率が減るという事例報告もなされています。「ケア提供者のストレス軽減、学生教育や啓蒙、医療安全に寄与する」。それから「病院の理念の顕在化」。病院の理念をアートやデザインによって見える化するんです。

それから活動内容。1970年代80年代は「病院施設内への美術作品の設置。壁画、絵画、彫刻、バレー鑑賞や音楽コンサートの開催」だけであったものが、現在では「創造的活動とみなされるあらゆる創造的活動」がなされています。「参加型活動(ワークショップ)や空間芸術といった体験型の表現活動」もなされています。



ホスピタルアートをやる主体が、以前は「アーティスト、アートディレクター」、あるいは「大学研究機関等、自治体等政府機関等」だったものが、今は、そればかりにとどまらず、「NPO他法人団体、病院組織」が主体になるものもありますし、「患者や障害者、家族」の方々が主体となっている場合もあります。

対象も、以前は、「患者や障害者の方や病院組織」であったのが、今は、「患者や障害者、家族、ケア提供者、施設職員、病院、学生、地域住民」の方々も対象となるような幅広いものになり、病院の中だけの事柄ではなくなっています。それから以前は施設内の活動であったものが、今は施設内のみにとどまらず地域で活動が行われることがあります。


近畿大学における学生との取り組み「声魂の樹」



近畿大学での取り組みについて話しますと、「HART」というサークルがあり、現時点では58名の学生がいて2009年から現在まで活動を続けています。近畿大学も医学部があり付属病院が3つあります。この近大病院においてさまざまな活動をしています。
この画像の「声魂の樹」も活動のひとつです。病院には患者サービス向上委員会というものがありまして、毎月お医者さんや看護師さんたちが集まって、患者さんからのクレームにお答えしているんです。例えば、駐車料金が高い、待たされる、誰々の言葉遣いが悪いなど、さまざまなクレームがきます。委員会では毎月1回2時間くらい20人ほどのスタッフが集まって、そのクレーム一つひとつにお答えしています。以前からやっていらしたのですが、長いクレームにまた長い文でお答えをし、それをただ小さな文字で病院の端にある公衆電話の上に貼ってあったんです。今やあまり利用されない公衆電話の上に、長い文章を小さな文字で、です。これでは患者サービス向上委員会として、忙しい中2時間集まっていても何の成果もないですよ、といろいろと委員の方と考えました。その結果、病院エントランスの総合受付に、学生たちが大きな木をカッティングシートで作ってくれ、そこになっているりんごの実に患者さんのクレームを書いて、そしてそれへの病院側からの答えもできるだけ簡潔にしましょう、となりました。
これを毎月委員会が貼り付けていて、いっぱい貼られています。今や、クレームが2倍になったそうです。しかも同時にお褒めの言葉も増えたんですね。はじめて病院に来た方も、可愛らしい木があるなと見に行っていただくとそこにクレームとお答えが分かりやすく明示されていると。これで患者さんやご家族と病院側の意思の疎通、コミュニケーションが少しできてきたのではないでしょうか。


その人らしさを取り戻す手段としてのアート


この「ハートフェス」も「HART」のメンバーが中心になって患者さんのために夏フェスやクリスマスフェスをやらせていただいてます。さまざまな文化活動、文化クラブが合唱をやったりしています。これは以前実施したバレンタインワークショップの様子です。
患者さんにとって病院での生活は、常に規則に従って進んでいます。入院するまではそれぞれ個性的な人生を送っている患者さんが、入院したとたんカチッと患者リストバンドをつけられてしまう。医療ミスを防ぐ為には仕方がないことだと思いますが、あの瞬間から、患者番号で管理されてしまう。そこにアートが入り込む余地があると思うんですよね。というのは、アートはすごく個人的なもので、いくらピカソの絵を見ても感じ方は人それぞれ。この人はものすごくいいと思っても、その横の人はこれ何やって見方をする。そこがアートの素晴らしさなんですね。病院に人間の個性というか人間らしさを持ち込むのにアートはすごく有効な手段だと思います。こういうふうなワークショップをしますと、急にみなさん個人的なことをおっしゃるんです。私はピンク色が好きとか、かわいい孫にプレゼントしますとか、本当に些細なことなんですけれど、この時間と空間があることによって一瞬でも患者という役割から離れられる。そのことがホスピタルアートの意義だと思っているんです。
これは近大病院小児科入院棟のデイルームで、患者さんが家族とくつろぐところですが、ここで壁画製作をさせていただきました。メインの木は学生たちが描き、あとは誰でも簡単にできるステンシルという手法を用いて、子どもたちにいっぱい参加してもらって壁画を完成させたんです。


そのときたまたま5歳の小児科の入院患者さんの女の子が2人来てくれました。その子たちは抗がん剤の影響で抵抗力がほとんどないのですが、親御さんがぜひにとお医者さんや看護師さんに嘆願されまして、その子たちにも描いてもらうことになったんです。まず他の子どもたちに参加してもらって、その後に全員マスクをつけ直したりしてから、お医者さんと看護師さんたちがその2人の前後を囲んでぞろぞろと入ってこられて、その壁画を完成させてくれました。その子たちは本当にものすごく元気に参加してくれました。普通の子どもに戻った瞬間だったと思います。


現代舞踊鑑賞で高齢の入院患者さんが生き生きと


近畿大学は総合大学ですので、医工文理、つまり医学部、工学部、文学部、理学部と理系文系の先生が集まって、認知症の研究グループを作っています。2018年3月に、その共同研究グループが「認知症と療養環境を考える」というシンポジウムを開催しました。そこに先ほどご紹介しましたArts for Healthの現代表のClive Parkinson先生をお呼びして、彼にも発表してもらいました。そして総合社会学部の女性の先生方4人と私とで新たな共同研究を開始しています。

近大で視覚芸術のアートをやっているのですが、昨年、舞台芸術の学生による舞踊公演を実現させることができました。近大病院の立派な中庭で舞台芸術の学生たちが卒業舞踊を踊ってくれました。その舞踊公演の広報や演出など後押しをしたのが、うちの文化デザイン学科のH2Oというメンバーで、まだ2年生ですが、文化芸術の力を社会に活かすプロデューサー、アートディレクターになりたいという思いで勉強してくれています。このときは台風の最中でものすごい雨が降っていて、学生が怪我をしたらどうするんだなどと直前までドタバタとしていたのですが、最後に舞台芸術の先生が何かあれば僕が責任を取りますと言ってくださり、それで最終的に一回だけ公演が実現しました。工夫を凝らしたチラシのおかげもあって、入院患者さんたちは点滴をしながら、車いすを押しながら、来てくださり、舞台芸術の学生さんたちは雨も厭わず踊ってくれました。土砂降りのなか、患者さんたちは病院のなかで窓越しで見ていただいたのですけど、見終わった後はすごく目が生き生きしていらっしゃいました。患者さんは高齢の方が多いこともあり、現代舞踊への反応を正直なところ心配していたのですが、感想を聞くと「若い時を思い出しました」とか、「訳わからないのに勝手に涙が出ました」とか、こちらの予想をはるかに上回る反応をいただけたんですね。どうしてあんなに興奮して観ていただいたのだろうと不思議に思っていましたら、神経内科の先生が、ミラーニューロンの働きかもしれないと教えてくださいました。高齢の患者の皆さんは本人も周りの人たちも普段ゆったりとした動きをされているので、若い女の子たちが真っ赤なドレスを着て雨の中走り回るなんて見慣れない姿を見て、患者さんの神経がすごく刺激されたと思う、と。見ることによって鏡のように患者さんたちの神経が刺激されたんですね。病院側も気をよくされて、来年もやっていいよとおっしゃっていました。


アートが医療現場に介在することでコミュニティをデザインする


最後に、ホスピタルアートの役割は何かと言いますと、結局、病院というコミュニティをデザインすることだと思います。ホスピタルアートと言うと、病院環境を美しく整えることだけだと誤解されることが多いんですが、もっと大切な役割は、アートが医療現場に介在することによってコミュニティの在りようを見直すことだと思います。

それから、ホスピタルアートの効果を定性化定量化してくださいと、よく言われるのですが、定量化できない部分にもまた価値があることも事実です。病院はサイエンスですので、エビデンスが必要ですし、患者タグを付けられた瞬間からナンバーで管理され、すべてが定量化されます。そこに定量化されないアートという価値観を導入することによって異文化を持ち込む。患者という役割から人間に戻ると言うのでしょうか、そういう意味合いもあるということを覚えておいていただきたいなと思います。


近畿大学におけるホスピタルアートの可能性


近畿大学でもHARTプロジェクトで2009年からもう10年ほど、さまざまな活動をしてきました。例えば、文芸学部の三島由紀夫の研究者の先生が、インターネットを通じて患者さんに日本文学の講義をするというような、ベットサイドユニバーシティという活動もされています。これは画期的なことだなと思うんですが、近大でのホスピタルアートの可能性をいくつか挙げてみました。

近大での「ホスピタルアートの可能性」
・療養環境改善(優れたアートやデザインによって)
・病院理念の顕在化(視覚的に病院の理念を患者様に分かりやすくお伝えできる/広報物等)
・患者様の個としての尊厳を守る
・就労者の意識向上、誇りを促す(イギリスでは看護師の離職率に歯止めをかけるとの研究報告あり)
・医療安全の質向上(問題点の可視化→医療事故防止) ・患者の社会復帰を促す(ワークショップ等により)
・院内サインの見直し、質向上
・広報活動によって病院のイメージアップにつながる ・医学部学生に対する演劇教育(シミレーション・ラボ)
・医学部=文芸学部連携の下での共同研究 ・医学部との連携のみならず、農学部や工学部、様々な分野との連携が可能 ・院内の各部署間のコミュニケーションの円滑化を促す
・ベッドサイド・ユニバーシティーなどの療養環境の質向上(患者様に学ぶ機会を提供)

もちろん、優れたアートやデザインの力によって療養環境を美しく整えて、今以上に過ごしやすい環境にするという療養環境の改善、これは外せない要素だと思います。それプラス、病院の理念の顕在化、視覚的に病院の理念を患者に分かりやすくお伝えできるものも大切になります。患者の個としての尊厳を守ること、さっきも言いましたように、患者ナンバーではなく、人としての尊厳を守ることにつながります。それから、就労者の意識向上、誇りを促す、医療安全の面でも貢献できます。また、患者さんの社会復帰を促す、ワークショップ等なんかで頭や手を動かすことによって社会復帰を促します。院内サインの見直しや質の向上、あるいは広報活動によって病院のイメージアップにもつながります。

それから、今シミュレーションラボと言って医学生が模擬患者さんや模擬の装置を使ってしますが、今後医学部学生による演劇教育などももっと取り入れたらいいんじゃないでしょうか。それから医学部、文芸学部連携の下での共同研究、そして医学部のみならずさまざまな学部との連携が可能です。それによって研究成果ができ、それをエビデンスという形であげていってお役に立てられればすごくいいと思います。やっぱり大学や教育機関がエビデンスを論文という形であげていかないと行政も動きにくいでしょうし、大学はそうした役割があると思います。それから、院内の各部署間のコミュニケーションの円滑化も促します。先ほどのベットサイド・ユニバーシティも療養環境の質の向上ですね、患者さんに学ぶ機会を提供したりもできます。

最後にこないだ亡くなられました日野原重明先生のお言葉を紹介したいと思います。「医師の大きな仕事は患者の痛みを心の側面から癒すこと。医学というのはサイエンスの上に成り立っているアートというのが私の一貫した持論です。もともと医学は『アート・オブ・メディスン』と呼ばれてきました。古代の医学には、サイエンスはほとんど存在しませんでしたから、医師の大きな仕事は患者の痛みを心の側面から癒すことだったのです。」と立派なお医者様がおっしゃっています。もともと医師とは、患者の心の痛みを治す人だったんだと。それにアートは非常に大きな効果があるものだということです。

ではこれで私の講演は終わらせていただきます。ご静聴ありがとうございました。


SUGGEST 関連ページ